なんというか、憲法みたいなものかな、と。統治する側からの言であるのは間違いない。統治する側の権力というのは、実は常に絶大だ。それをいかに自分で制御するかが真の問題であろう。
それにしても江戸時代の勉強方法とはなんだったのか?古典の素読を中心にしながら、あれだけ知恵を持つ者たちを輩出したのはどういう教育だったのだろうか?
- 作者: 矢吹邦彦
- 出版社/メーカー: 明徳出版社
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「身体が覚える」ということだったのかなとは思う。曲がりなりにも認知心理学について学んだ者として恥ずかしい限りなのだが、「EQ」を読んでいて私たちが自覚できる「記憶」以外にも「記憶」があるのだと知った。
- 作者: ダニエル・ゴールマン,土屋京子
- 出版社/メーカー: 講談社
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情動とは実は記憶の蓄積なのだと、あまりに当たり前のことに気づいた。
あとできちんと書くが脳内の視覚や聴覚の神経から新皮質を経ない扁桃核へのバイパス経路がいわゆる「脊椎反射的反応」を起こすらしい。また、前頭葉から情動を引き起こす経路もあるらしい。
情動反応の実体験 - HPO:機密日誌
なんとはなしに脳幹と扁桃核を同じようなものだととらえて、情動反応はある程度学習によって生じるとはイメージしていても、扁桃核自体が記憶を持っているとは、思っていなかった。たぶん、意識される言語的な記憶とはまったく別種なのだろうが、扁桃核と記憶の関連は深いのだそうだ。
記憶には、エピソード記憶といわれる自分の感情やら体験やらで構成されるものと、知識的記憶という論理というか公理系の広がりというか百科事典的というかそんばしばしっとつながっていくモナドみたいのでできてる記憶とがあるように思う。
明滅する記憶と発想 - HPO:機密日誌
私は、昔から学習から情動的な側面を排除することが理性であり、最も正しいのだと信じてきた。そうではなく、情動的な側面を含んだ記憶や思考こそが人の意思を作るのだと知った。
扁桃体外側基底核は、短期記憶の学習には影響しないが、海馬と尾状核の短期記憶の固定化を強く促進する。扁桃核は情動の中心なので、短期記憶の学習後の強い情動体験は記憶の固定化を強固にする。
書評 - 記憶と情動の脳科学 : tnomuraのブログ
情動は扁桃核(情動の脳)で判断されます。その判断の材料になる情動の記憶は扁桃核の中に蓄えられているようです。その情動の記憶をもたらした背景は海馬核に記憶されます。情動の脳が反応を起こすとき、簡単な記憶を参照するときは、自分自身内にある記憶を用います。複雑な内容の事柄を参照しなくてはならないときには、大脳皮質内に蓄えられた陳述記憶を用いることが分かっています。
子供の心の構造(最新神経生理学からの観点)
・扁桃核には日常自分でも気付かないうちに示すような情動反応のレパートリーが記憶されている。 気付かないのは、視床から扁桃核につながる近道が、大脳新皮質を完全に迂回しているからである。 自分でも気付かないうちに対象に好悪の感情を抱くのは、扁桃核に蓄えられた情動の記憶のせいである。
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何人かの方がネット上でこのことを書いていらっしゃる。
そして、「伝国の辞」に戻るのだが、現代の学習方法よりも実は江戸時代の学習とは情動的な側面が強調されていたのではないだろうか?古典を読むのも、ただ新皮質で思考するのではなく、素読し音読し、「志」という言葉で情動を高め、はるかに多面的に身体を使って、ということは結果的に脳全体を使って学習していたのではないだろうか?
「伝国の辞」には結集された上杉鷹山の人生そのものが入っている。ということは、情動から我々が理性と呼ぶ側面からすべてが結集されて、クオリアというか、脳の最接点がここに込められているといってもよいのではないか?
一、国家は先祖より子孫へ伝候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
上杉治憲 - Wikipedia
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有るまじく候事