HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

継承するんじゃなくて、自分で作るんだよ

団塊の世代の大量退職の時期にあたって、技能の継承とか工場の技能労働者から、事務職の専門家から、警察官までさまざまな「継承」の重要性が言われている。

それって、結構とんでもないことなんだと思う。

どれだけリスクがあるかわからないけれど、これって60年に一度くらいの破壊と創造のチャンスなのだ。戦後の経済成長の根底にあったのは、戦争の中でそれまでの指導者層がみな消えてしまって、若手ががんばる「空き地」があったから伸びたのだ。

今回の大量定年時代はそれに勝るとも劣らないくらいの権力移行の時期が来ているということなのだ。

これまで様々な組織を支えてきた中核の方々が定年なり、引退なりする時期が来ている。これは、莫大な「空き地」が生まれることを意味する。この「空き地」をいままで同じ使い方をしているのでは、人口の少なくなっていく日本において、破滅を意味するだけだ。

どれだけリスクがあろうと、どれだけ社会的混乱があったとしても、この「空き地」を新たな時代の新たな子ども達に開放すべきなのだ。それを「継承」の美名の下に、既存権力層の支配下にみすみすあけわたしてはならないだろう。

そもそも技能も立場も指導力も継承できるものではない。そういえば、営業職の継承が言われないのもある意味時代にあわせて常に移り変わらねばならないから継承とはいわれないし、常に0から作らねばならない職だからかもしれない。おじさんたちもあまりここに注目していない。営業職って案外現代日本に残された匠の職人たちなのかもしれない。

実は自分で作り上げる以外に自分の立場は作れない。自分の家庭も作れないし、自分の仕事も作れない、安心できる社会もできない。それこそが、生があり、死があり、人は0からもう一度成長してかなければならないという意味なのだと私は信じる。

あー、なんかこんなこと私の立場で書いていいのかとなやみつつこのままあげてしまう。