この本の道徳的な感覚というものが、この映画の中では混乱している。例えば、アレンの父親殺しは、映画の中で、動機に薄く、根拠に欠けている。暗い影や、分身ににとらわれてしまったという親殺しの説明は、後付であり、説得力にかける。そもそも、なぜ身体が二つにわかれてしまったのか?手がかりすらない。この分身というアイデアは、「アースシーの魔法使い(邦題:影との戦い)」からとられているのだが、この本ではゲドがどのようにして彼を追い続ける影を持つようになり、それがなぜで、最後には影が誰であるかが分かる。我々の中の暗闇は、魔法の剣を振りまわすだけでは追い払うことはできない。
この前の段落で登場人物の言っていることが、行動によってあがなわれていない(earned)と指摘されていることとあわせて、この辺が痛い...痛い...痛い...自分のことを言われているようだ。