HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

いい女にはお金をおしみなく使える

男はいい女に弱い。

男は、自分がほれたいい女に自分の稼いだ金をつぎ込むことは惜しくない。

これは普遍的な事実だ。

いい女に金を使えないやつなんてのは、命の力を発揮できないなさけないやつだ。

だから、非モテなんていわれている連中は、結局自分のためにしか金を使えないやつなんだろう。

命は萌えるものだ。いや、失礼。燃えるものだ。

多分、これは我々の先祖の一部がマンモスを追ってこの地に移住してきてときから、命を懸けて手に入れた食物を家族に分け与えていたころから、変わらない。

男は黙って女子どものために、命を懸けて稼ぐのだ。そして、黙々とセックスをする。

いや、もっともっともっと前、命が命としてはじまったときから、オスとメスの別が出来たときから、男は女に稼ぎを惜しみなく与えつづけて来た。裏切られても、裏切られても...。

女がいなければ子どもを産めず、育てられないからだ。

ペンギンが命をかけて、身体の底から食べ物を吐いてヒナに与える映像を見て、これこそが命であり、自分の姿なのだと感じた。

逆に言えば、女子どもに惜しみなく金を使える、稼ぎをつぎ込めるということが最も私的な行為であり、私的な幸せなのであろうと信じる。

その姿の極みが性行為であり、あまりに私的であるからこそ、恥ずかしいと人であれば思うのだ。

以上。

あ、もし、私がsexistだと感じる人がいれば、男女を逆にして読んでもらっても、大して違いはないだろう。