HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

プログラミング、シミュレーション、そして思考の行き先

まだ、こう書くのは早すぎるかもしれないがプログラミングは楽しいと思い始めている。なんというか、不明確なステートメントは、排除されてしまうか、無限ループにはいってしまうか、おちてしまうか、ルールが明確になっている.また、ロジックとして成り立たないものは、基本的に表現できない。あるいは、冗長性が少ないためロジックが破綻している部分がわかりやすい。

ただ、問題になるのは、いくら最近の言語はオブジェクト思考で抽象化しやすくなっているとはいえ、一番核となるロジックを目立たせる、目に飛び込んでくるようにすることが難しい。

これは、プログラム言語のリテラシーの問題でもある。多分、Cとかのエキスパートの方達なら、私には意味をとることができないプログラムからでも、意味をとることは可能なのだろう。

こう考えていくと、将来的にプログラミング言語というのは、ロジックを表現することができて、抽象性がたかく、読みやすく、場合によっては「修飾」的言辞を許すようなものが、一般に普及する可能性が高いということではないだろうか?

そしてまた、オブジェクト志向とリストの表現というのが抽象化のためにはかかせないように思う。

ちょっと、問題を前提に戻すが、シミュレーション的思考というのがこれから大事になるように感じる。これまでは、数式で表現されてものをスプレッドシートのようなもので表現したものがモデルであったが、これからはノードとリンクと、それぞれの振るまいを記述して、プロセスとして動かしてみて、シミュレーションの結果がどうなるのか、という思考になっていくように感じる。ちょっと意味が違うのだが、演繹的な思考から帰納的な思考に立ち返るというに近い。これは、コンピューターが発達し、シミュレーションが簡単にできるようになったということと、ネットワークの発達によりシミュレーションのデータがとりやすくなったことがあるように思う。そして、人々の思考もここまで来て変わる兆しをみせているのではないだろうか?

どうもあたまのどこかでライシュの「シンボリック・マネージャー」という言葉とプログラミングにおける抽象化とかちらちらしているのだが、まだまとまらない。

あ、そうそう95年前後にN.YとDCでインターネットのセミナーを森祐治さんといっしょにやったあと、森さんがJavaというネットワークと連動するプログラミング言語の出現で、ネットは完結するといっていた。本当かもしれない、と10年後のいま思う。