HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

すごい人もいたもんだ!

今日は、哲学思想系とは多分かなりほどとおい方と夜お話をした。それはそれなりに目的のある会合だったのだが、その会合の目的が何であったかは、書かない。いずれにせよ、やられたなと思った。これまで私がこのサイトでえいえいと書いてきたことがそのまま2時間あまりですべてこの方の口から聞けてしまった。

今日は本当に下っ端な立場だったので、多分自分の父ほどの年のこの方のお話を聞くばかりだった。しかし、その話題の広いこと、広いこと。

「人間の歴史なんて地球の歴史からみれば塵のようなもんだろ。でも、この50年くらいの変化はすごいもんだ。おれなんかガキのころは雪の日には靴をはかないで学校に行ったもんだ。あれは、きっと、あれだな、地球温暖化か何かで今はあまり雪がふらないが、昔は寒かったんだろうな。この最近の変化を見ていると、なんか人間はきっとかわんじゃなぇかという気がすんだよな。」

戦争の話、政治の話、年金の話、イラク情勢の分析、男と女の関係...口調こそぶっきらぼうだが、自分の関心領域と見事に重なっていた。そうそう、「税金は貯金じゃない。」という素敵な言葉もいただいてきた。

この方がどういう方なのか書きたくてうずうすしているのだが、迷惑をかけることになるので書かない。聞いたらきっとびっくりするよ。ふふふ。

もうひとつ驚いたのは、「認知への欲求」という言葉で人間の行動や言動のかなりの部分を説明できそうな気がするという点だ。現代の日本では、みなあまり生活には困っていない。じゃあ、生活に苦しんで自殺するような人はどうなんだといわれそうだが、そういった方でも、たとえば前述の方が50年前に経験された生活と比べると確実に豊かな生活をしている。50年前には、テレビもない、本も十分にない、お風呂はまき、畑をたがやすのも人力、電気照明すら十分にはなかった。今は生活保護を受けている人でもテレビは見ていられるそうだ。それでも、自分の生活に満足していないのは、自分が社会で認められていないということを自覚しているからだろう。

前述の方もかなりお金に困らない生活をしているにもかかわらず、いろいろな方面で活動しつづけているのは自分が周囲から認知されたいという強い欲求であると感じた。この方は、はっきりと自分が異性にもとめるのは、美しいとか、レベルが高いとか、頭がいいとかじゃなくて、相手が自分をそのままで受け入れてくれるかどうかだと断言していた。

フクヤマは偉大だ。