古くからの友人に連れられ、彼の言う"Old Town"、大稲埕地区を見学させてもらった。素晴らしかった。ここに住み着いて、街づくりの仕事のお手伝いをさせて欲しいほど!昔の台北の繁栄の仕方の様子が伝わる。
ここは、セットバック方式でなく、オーバーハング方式で建物の一部が回廊になっているところに特徴がある。日本だと横浜の元町がそう。繊維関係ということで、古い町、繁栄した街ということで共通点があるのか?
https://www.motomachi.or.jp/wp-content/themes/mmss/pdf/about/4_kyotei_mmcs.pdf
この古い町の中でプロヴァンスを思わせるプチホテルを発見した時には、感動に近い感情がきらめいた。
「油化街・十連棟」、「新天地」という再開発がまたすばらしい。表側の「十連棟」を残し、改良し、ギャラリーにしながら、一本内側では中高層のマンションと店舗という再開発をされたとのこと。
ここにいると、本当に昔の姿を生かして、現在につなげている。オーバーハングしている通りの中でところどころ、セットバックしている中高層建物がある。そういうところは、一階の店舗ががらあきだったり、荒廃している感じであった。自分がやってきたセットバック事業でいくつ本当の繁栄につなげられたのか、歩いていて反省させられた。
話しは本当に尽きない。
場所としては、この辺り。
大稲埕(だいとうてい/ダーダオチェン)は現在の台湾台北市大同区附近の名称であり、艋舺を継承して台湾で最も発展した地方である。清末から日本統治時代にかけて,大稲埕は経済、社会、文化の中心地として台湾の発展の中心地であったばかりか、人文等の学術の中心地でもあり、現在でも往時の様子を伝える建造物等が散見できる。
大稲テイ - Wikipedia
もともとの台北はこの辺りから始まったと友人は言っていた。淡水河の河口から少しさかのぼり、河がゆるやかに曲がっている部分は、確かに港に最適であったのだろう。米、漢方、繊維関係のお店が以前は多かったと言っていた。ここにはぜひまた泊まりがけで着たい。