HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

お金について

明日の勉強会での発表について考え続けている。「エンデの遺言」を「貨幣の複雑性」から読んでいくという方針に従って、プレゼンの骨子くらいまではできあがっている。ずいぶん長いこと考え続けてきたことではあるので、普通に話しはできそうだ。しかし、なにか足りない。ミヒャエル・エンデの父、エドガー・エンデがしたように、暗い部屋でじっと向こうからイメージがやってくるのを待ちたいくらいだ。

 (エドガー・)エンデは、何日間もアトリエを暗くして、その中で頭に浮かび上がってくるイメージを描き留め、作品にしていました。そのため、エンデは「暗闇の画家」とも呼ばれています。ときにはスケッチから作品が仕上がるまで何年もかかりました。

 エンデの絵は、彼の心の闇の部分から浮かび上がってきたものであり、「ロマンティック・シュールレアリスム」と言われています。

3分でわかるエドガー・エンデ(1) ミヒャエル・エンデの父親 ロマンチックなシュールレアリスト、エンデの生涯と作品 : ノラの絵画の時間

私の中でひらひらと舞っているのは、たぶん「はてしない物語」に出てくる虚無の使いの「嘘」と「ファンタシー」に関する話なのだろう。「ファンタージェン」の住人が「虚無」の穴から「こちら」へ来るときに「嘘」に変わってしまうといくだりだ。

お金に対する欲望は限りない。過去いくつの殺人や、手ひどい裏切りがお金に対する欲望のために行われてきたか数え切れないだろう。しかし、もともと人が欲望の対象とするのは、お金ではない。ずっと考えてきた。安冨先生の貨幣モデルと、情報媒介者としての「商人」思考実験は重要だ。人と人との「取引」には、貨幣か、商人の存在が不可欠であることを安冨先生は示された。取引の貨幣モデルでも、商人モデルでも、「他人が欲しがるものを人は欲しがる」という傾向によって貨幣が生成し、商人は取引を完遂できる。安冨先生から引き出された、この結論にとても納得するものがあった。

哲学に走りたいわけでもなく、心理としてこれをとらえるのでもなく、お金そのものとして、なにかこの辺にひらひらするものがある。しかし、私には定式化できない。強引に言ってしまえば、人が持つファンタジーこそがお金の根源であり、ファンタジーとお金の関係を明確にできれば、次第に減価していくエジプトの穀物蔵の荷受証がお金として使われた時代までトラックバックできそうな気がするのだが、どうもそこまでいきつけない。

うーん。