20世紀の終わり、まだ大容量の接続がなかった頃、Showtimeというサービスがあった(って、いまもあった)。私にとってはリアルの生活と仕事がすさんでで発散する先もなかったころ。か細い回線で、つっかえつっかえながら見たCowboy Bebopにハマった。
あの頃は、菅野よう子の多彩な音楽とハードボイルドっぽい雰囲気でああいいアニメだなと想っていた。
「俺のなくしちまったかけらなんだ。」 「きれいであぶなくてほっとけないフツーの女よ。」 「死ににいくわけじゃない。おれが本当に生きているか確かめに行くんだ。」
ジェットの走り方 - HPO機密日誌
はまりすぎてDVDまで買ったがそこまでだった。なんの物語であるかの理解が進んでいなかったのだと今なら思える。
今回、改めてNetflixで見直して最低のアニメだとようやくわかった。ここには、過去しかないのだ。過去にだけ生きている人物たちの物語なのだとよくわかった。最初見た時は、自分自身に過去しかなかったからそこに気づいてなかった。
#cowboybebop もう何回目だろう、これを見るのは。初めて見たのは始まったばかりネット版だった。まだ二十世紀だったか、あれは?
— ひでき (@hidekih) 2020年7月26日
このアニメは別れた相手や、死んだ女、失われた過去への未練ばかりだ。だから、何度も何度も見続けているのだろう。燃えかすに火が灯ることなどないのに。
あんなにハマった物語なのに、あれから人生経験をそれなりに積んだいま、逆に未来がない物語なのだといまは冷静にみえる。その意味では、いま自分は未来を見ていられる姿勢にようやくいられているのだろう。まあ、いまでも、ラストまで見れば涙もでるが・・・。