たまたま時間があり、1週間ほどで見てしまった。正直に言えば、The100のファイナルとなるSeason7のエピソードの配信が途中で止まってしまったので見始めたというのが本当のところ。
いつぞや、コピーライティングの基本は商品を買わせること自体ではなく、広告のボディを読ませたくなるためにあると聞いた。そして、ボディの1行目は2行目を読ませるためにあり・・・、と続く。このテレビシリーズはまさにコピーと同じで、エピソード1は2を見せるためにあり、3は4と続く。これがシーズン2の最終話まで切れない。
物語がプロローグは1989年。この年は平成の最初の年であり、私が社会人になった年であり、想い出深いものがある。そして、その30年後の2019年が「現代」として設定されているのだが、携帯電話も、スマフォも、ウェブもない、もしくは一般的でない、ちょっと古く、なつかしい感じのする「今」として描かれる。ここがまた魅力的。原作のコミックが20世紀の設定だからなのかもしれないが。
エピソード1は、ヴァーニャのヴァイオリンによる「オペラ座の怪人」の演奏から始まる。この物語が家族の中のはぐれもの、機能不全として描かれるのに適切な前奏曲だろう。シーズン2にいたって更に少し前の精神病院、LGBT、公民権運動など、抑圧された側を描いている。私にはそのメタモルフォーゼが必ずしても説得力があるよに描かれたとは思えない部分があるにせよ、カタルシスは感じられた。
シーズン2が終わってもまだ様々な「謎」TVシリーズで残されている。ぜひシーズン3に期待したい。