HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

命の値段、医療経済学からパンデミックを見る

パンデミック・シミュレーション」という本を拝読した。国立感染症研究所の研究者の方が書かれたと認識している。当初、数理シミュレーションを期待して読み始めたが、医療経済学に関する見解が興味深く、今回なぜ議論されないのか不思議に感じた。

著者のお二人。前書きによるとお二人は09年の新型インフルエンザの時は最前線で「戦って」いらしたと。今回の新型コロナウィルスで国立感染症研究所の名前が出てこないのはなぜなのだろうと想っている。ゲノム情報を持っていると考えられている国立感染症研究所が感染状況の把握、推測をした方がはるかに正確な将来像が描けると思うのだが不思議でならない。*1

nrid.nii.ac.jp

nrid.nii.ac.jp

新型インフルエンザの日本上陸前までの知見、準備がまとめられている。今回の新型コロナウィルスの流行ですっかり名前が知れたR0、Rt、そして感染の拡大、集団的免疫などは基本的にSIRモデルに基づく。本書ではSIRモデルと並んで、Individual Based Mode(ibm)と呼ばれるシミュレーションに焦点が当てられている。具体的には鉄道関係からのデータの提供を受けたシミュレーションが紹介されていた。別論文だが同著者における論文があった。

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http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/pdf/1551-03.pdf

SIRにせよ、ibmにせよ、R0等がわかれば感染のリアルタイムシミュレーションができる、そのための準備はすっかり整っているのだと書かれている。いくら中国とWHOが意図的にパンデミックの宣言を遅らせたかために感染症法、特措法のトリガーを引き損なったとはいえ、今回の新型コロナウィルス流行を見るととてもそうは思えない。念のため、2009年、10年前の出版である。*2

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そして、対策についても記述されている。自粛、先日インタビューを紹介したインペリアルのファーガソン教授提唱の感染者の出た組織等に大量に薬剤を投入するTAP、ワクチンなどの対策の罹患率のシミュレーションを行っている。改めて、09年時点ですでにここまで準備ができていたのだと。

その上で、それぞれの対策の費用対効果の分析がされている。特に注目すべきは「質調整生存年」、QALYの概念。医療に関する薬価、新技術に関する費用効果分析に使われる概念だと。

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重要なので文字起こしした。

生命の価値の金銭的評価は1QALY当たりで計算されます。QALYとはQuality Adjusted Life Yearsの略で、日本語では「質調整生存年」と訳されています。これは、ある瞬間瞬間の生命の質(Quality of Life :QOL)を時間に関して合計したもので、その人の生涯、あるいは余命における生命の質です。QOLは0(考え得る最悪の健康状態)から1(完全な健康状態)までの数値で表現されるので、完全な健康状態で余命30年間を生きたであろう人が突然亡くなると、QALYは30の損失になります。このQALYを1単位獲得する、つまり完全な健康状態で寿命を1年延期できる治療剤や薬剤に対して社会的に支払うことが許容される医療費、あるいは負担の上限が各国でもうけられています。

この概念に基づき、本書では新型インフルエンザの損害、対策の費用対効果を分析している。スプレッドシートに展開した。敢えて、今回は編集可能な形で共有している。ちなみに、日本の1QALYの費用は600万円だと記載されている。人ひとりの完全に健康な1年が取り戻せる薬、技術、医療費の投入限度が600万円ということなのだろう。人ひとりの命の値段自体であるわけではない。この計算はあくまで医療経済学の範囲内なのだと留保をつけておきたい。

docs.google.com

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若干、人口が1.2億人になっていたりした部分は訂正したが、本書にある計算をそのままスプレッドシート化した。画像読みづらいので、縮約表にした。

1.新型インフルエンザ流行の費用対効果
(1)対策なし
新型インフル健康被害 4.41 兆円
QALYによる死亡被害 対策なし 226.8 兆円
合計 231.21 兆円
(2)自粛効果の検討(40%)
自粛40%時のコスト 14.4 兆円
自粛40% 健康被害低減効果  3.53 兆円
QALYによる死亡被害 自粛40% 136.08 兆円
新型インフルエンザ被害推計 139.61 兆円
対策なしと自粛の差 91.6 兆円

このスプレッドシートに今回の新型コロナウィルスのこれまでの知見を入力してみた。致死率については「自粛」がなかった場合を10%ととし、4割低減されたのでこれまでの6%になるようにしている。同様に罹患率も4割削減できたとしている。ここまでの計算で、誰もが感じているように自粛は全くの経済損失。健康被害も1.6万人あまりの方で症状があった比率は低いが一律受けたとして計算している。同様に、今回感染された今回亡くなれた方々は圧倒的に高齢者が多く、救われたQLAYを30年とする妥当性の検討が必要。当該のページの欄外にDCF法が書いてある。本来現在価値に引き戻す作業も本来必要。

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同様に縮約表。計算根拠はスプレッドシートを当たって欲しい。

1.新型コロナウィルス流行の費用対効果
(1)対策なし
新型コロナウイルス健康被害 0 兆円 (37億円)
QALYによる死亡被害 対策なし 0.48 兆円
合計 0.48 兆円
(2)自粛効果の検討(60%)
自粛60%時のコスト 10.8 兆円
自粛40% 健康被害低減効果  0 兆円 (11億円)
QALYによる死亡被害 自粛40% 0.29 兆円
合計 11.09 兆円
対策なしと自粛の差 -10.61 兆円

ここには飲食店の倒産による社会的な価値、資本の喪失は含まれてない。同様に、自粛が長引き本来守るべき高齢者の健康状態、QOLが損なわれていること、親のコロナ恐怖で新生児の必須のワクチン接種率が下がっていることなども含まれない。高齢者も、高齢者も守れない対策に意味があるのだろうか?

news.livedoor.com


現在の状況では、緊急事態宣言があったから新型インフルエンザのようなシナリオを回避できたと主張される方がたくさんいらっしゃるのだとうとは想うが、少なくともいまの状態で継続、あるいは延長するのはまったくの失策。まだ3月の時点では多くの医学的知見、統計学的傾向が不明であったので緊急事態宣言は受け入れられるべきであった。しかし、現在は十分な知見が溜まっていると考える*3。多くの国民が経済的な被害を受けている中、政府、野党、各都道府県首長は経済的費用対効果の分析を明らかにすべきだと私は主張したい。


■追記

3月の書評発見!ここに書かれているとおり、子供の休校は対策効果が薄い。更に、子供はほとんど重篤化しない、感染拡大させていないことが分かっているので、早く子供の教育を受ける権利を回復させてあげて欲しい。こころから想う。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200320-00010004-php_s-bus_allheadlines.yahoo.co.jp


■追記 その2

QALYとQOLについての研究のスライドを発見。

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https://www.niph.go.jp/entrance/sympo2016_2-1.pdf

*1:別エントリーを起こす予定だが、西浦先生がRt等の推測をしたという元データはあまりに不備。武漢ウイルスと欧米ウイルスの区別がつきようがない。発症日と報告日の両方が揃っているデータがなく、N/Aばかり。厚労省からまともな実情が伝わっていないのではないだろうか?statmodeling.hatenablog.comこのサイトからデータの部分をスプレッドシートに引き出した。docs.google.com

*2:タレブの言葉を探している。人知れず、準備を積み重ねてきた方々をもっと讃えなければならないと。

*3:強いて言えば、国会の議論を見ていても、3月の感染者急増が検疫スルーで入国、帰国した感染者だったことの総括が全く行われていないことに驚きを覚える。ゲノムの分析から十分に分離可能な統計のはず。ここを除けば、「鎖国」が続く限り武漢ウイルス、欧州ウイルスに続く第三波は相当環境が変化しない限り起こりづらいことが理解されるはず。 hpo.hatenablog.com