HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「劇画 死線を越えて」

父のメモを調べていたら「賀川豊彦」氏の「死線を越えて」を若い日に読んだとあった。原書を読むだけの時間がなかったので、漫画版を読んだ。

賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年明治21年)7月10日 - 1960年(昭和35年)4月23日)は、大正・昭和期のキリスト教社会運動家、社会改良家。戦前日本の労働運動、農民運動、無産政党運動、生活協同組合運動、協同組合保険(共済)運動において、重要な役割を担った人物。日本農民組合創設者。「イエス団」創始者キリスト教における博愛の精神を実践した「貧民街の聖者」として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前は、現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジーシュヴァイツァー」と称された[1]。茅ヶ崎の平和学園の創始者である。

賀川豊彦 - Wikipedia

漫画版なので誇張、単純化されている部分もあるのかもしれないが、農協、生活協同組合、共済、日本社会党の設立など多方面に渡る活躍に目を見張った。

大宅壮一は、賀川の追悼文のなかで「大衆の生活に即した新しい政治運動、社会運動、組合運動、農民運動、協同組合運動など、およそ運動と名のつくものの大部分は、賀川豊彦に源を発していると云っても、決して云いすぎではない。近代日本を代表する人物として、自信と誇りをもって世界に推挙しうる者を一人あげようと云うことになれば、私は少しもためらうことなく、賀川豊彦の名をあげるであろう。かつての日本に出たことはないし、今後も再生産不可能と思われる人物――、それは賀川豊彦先生である。」と記している[14]。

これだけの人物が現在はあまり話題になったことを寡聞にして知らない。ばりばりの右派であった父が賀川豊彦にここまで共鳴していたというのも、現在の我々からは想像もつかないほど戦前の労働者、農民は国の福祉の対象となっていなかったのだろう。現在の国民皆保険制度の創設にも影響があったというのだから、国の福祉の源流がこの方にあったと言っていいのではないだろうか?もう少し調べてみたい。

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