魚住昭氏の著作を読んで、改めた記者が難しい相手のふところにいかにはいっていくかがテクニックなのだと感じた。
- 作者: 魚住昭
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2007/04/10
- メディア: 新書
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魚住氏は自身の検察、司法関係への取材体験をもとに以下のように書いていた。
《「情報というのは魔力がある。特ダネ欲しさと検察の正義を信じて取材していると、彼らのインナーサークルに入ったような気分になるのです。情報が濃密であればあるほど、取材源と記者の一体感は高まり、客観的な視点が失われていく。検察担当のような閉鎖的、特権的な空間にいると尚更です」
つまり検察ベッタリと寄り添った報道姿勢が、検察捜査のお先棒を担ぐ報道を構造的につくりだしているということだろう。》
(引用終了)このあと青木理氏は特に特捜検察が独善に走ってないか、検察べったりのマスコミがいくらリークではなく「取材努力」だといっても国民の目から見れば「馴れ合い」でしかない、と断じている。
週刊ポスト最新号「検察担当記者が明かす『リークの現場』ドキュメント」青木理氏の演出はGood! - 日々坦々 -
Aという取材ソースに張り付きそこで得た情報をBという別のソースにAからの情報だとはわからないようにぶつけて反応を見る。そうしているうちに、前述の「情報の魔力」により記者でありながら、検察や、司法関係の「インナーサークル」の一員のような顔をして出入りできるようになったと。
なんとはなしに尾崎秀実の時の内閣総理大臣にまで取りった方法もそうであったのではないかと想像をした。尾崎秀実もまたメドレー女史とよばれるアメリカ人女性二重スパイに上海で籠絡されていた。
情報戦にはいまも昔も、虚実入り乱れ、仲間意識と男女関係がつきものなのではなだろうか?秘密を共有する仲ほど甘美なものはないのかもしれない。