ある慈善団体の研修で「サーバントリーダーシップ」*1について学ぶ機会があった。その慈善団体のリーダーシップのあり方についての憂慮から発せられた言葉だった。団体の慈善活動は、規模こそ拡大しているが、すでに根幹の理念が失われ初めてていると。そして、世界的な活動の中で日本の地位が低下しているのだと。日本の、日本人のリーダーシップの欠如がこの団体の将来の重大な活動の変質につながりかねないと。
教えてくださったこの大先輩は、こうした事態を受動的に受け入れるのではなく、私達自身がリーダーシップを発揮すべきだと主張されていた。それも、支配型のリーダーシップではなく、人を支え、サポートし、成長を促す「サーバントリーダーシップ」を発揮すべきであると。
NPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会サーバント・リーダーであるかどうか、実行するのは難しいが判断するのに最も良いテストは 「奉仕されている人々は人間として成長しているか?」「奉仕されることで彼らはより健康になり、 賢く、自由で、自立した存在として自分自身もサーバントとなっているか?」そして「社会で最 も特権のない人々に与える影響はどうか?恩恵を受けているか?これ以上恵まれないことになら ないだろうか」
相手が成長しているかどうかが「テスト」だと。甘やかせることとは全く違うのだと。大変共鳴した。
以前、私が受けた道徳教育では「義務先行」ということが強調されていた。当時、「義務」という言葉に非常に窮屈なものを感じていた。しかし、サーバントリーダーシップが目指しているのはまさにこの「義務先行」ではないだろうか?と感じた。義務先行とは、サーバントリーダーシップと同じく自分自身が苦労し、陰徳を積み、その成果は人に分け与えることだと理解した。人の話しを傾聴し、自分自身で自分の成長を作り出せる動機と環境を作る。こここそが義務先行ではないかと。
*1:ヘルマン・ヘッセの「当方巡礼」という作品が「サーバントリーダーシップ」という言葉のヒントになったとどこかに書いてあった。機会があれば読んでみたい。