私の同僚の担当者は、一人ひとりがプロデューサーだ。一人ひとりの意思で何十人もの人が動く。そして、目的である成果物を完成させる。もちろん、詳細な仕様書、製造計画があることが前提だ。それでも、どう成果物を完成させるかの製造過程においてプロデューサーである担当者の裁量は大きい。この担当者の意思を梃子、仕様書を支点に例えて、完成させるという意思としっかりとした詳細までつめられた仕様書(目的といってもいい)がいかに大切かを同僚の前で話をした。
意思が弱ければ、支点がどれだけしっかりしていても、ものは動かない。梃子である意思が曲がるだけ。
仕様書がしっかりしていなくて、「柔らか」かったら・・・・。
仕様も計画もつぶれる。
仕様書がまあまあよく出来ていても・・・・。
仕様書がころころ変わってしまえば、ものは動かない。
担当者のしっかりとした意思という梃子としっかりとした仕様書、製造計画という支点がそろって始めて・・・。
大きなものが動く!仕様書にもとづいて製造ができる!目的が完遂される!
いかがだろうか?梃子と支点、意思と仕様書がきちんとそろうと大きな力が発揮されるのだと伝わっただろうか?