行って来た。ひとつの山そのものがお寺でうまっているという密度に圧倒された。
そもそも、20キロほどしか離れていない京都では猛暑なのに、お山の上はすずしいほどだった。
消失した仏塔が近年、篤志家の寄付で建て直されたという。このお山のあちこちに仏教の信仰の厚さを証明する文物が充満している。
「一隅を照らそう」運動にも共感した。
これはびっくり。
比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)は、元亀2年9月12日(1571年9月30日)に現在の滋賀県大津市の比叡山延暦寺で行われた戦い。この戦いで織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われている。またこの戦いはルイス・フロイスの書簡[1]にも記載されている。一方、近年の発掘調査から、施設の多くはこれ以前に廃絶していた可能性が指摘されている。
比叡山焼き討ち (1571年) - Wikipedia