HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

毛利元就の十四箇条

お坊さんの出るテレビで、毛利元就の三本の矢の話しをしていた。実は、毛利元就が息子達に残したのは、三本の矢ではなく「三子教訓状」の十四条だと。

1557年(弘治3年)11月25日に周防富田(現・山口県周南市)の勝栄寺で書いた元就の自筆書状。60歳を越えていた元就が、3人の息子たちに(他の子どもたちを含めて)一致協力して毛利宗家を末永く盛り立てていくように後述の14条に渡って諭している。

三子教訓状 - Wikipedia

一条一条、親心があふれる教訓。親からみれば子供が仲良く、家を盛りたてていくことがなによりも喜びとなるのだろう。「三本の矢」よりもはるかに詳細に、具体的に、また力を込めて息子達に教訓を残している。

テレビの説明で「三本の矢でなく、十四の心」といっていたように思う。空耳かもしれないが。「十四の心」と聴いて、父の古くからの友人との会話につながった。いや、会話というよりセッションというべき貴重な機会だった。亡き父の言葉が、その方のお導きで私の中で蘇った。

「お前は本当に人の話しを聴かない。誰の話でも、きちんと人の話を聴け。LeadershipのLはListenのLだ。Listenとは積極的傾聴だ。『聴』という字は、耳に十四の心と書く。よくよく心を込めて聴け!」

正確には、このまま父が言ったのではない。生前語ったそれぞれの話しの断片をまとめた。

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2015-05-19 - HPO機密日誌

「聴」という時は、「十四の心を耳につけて『聴く』」と読める。そして、父のいうとおり「聴く」ことがリーダーシップの始まりであり、このリーダーシップの行動により「耳」が「行動」の行人偏に代わり「徳」となると。

昔の人の言うとおり、「冷や酒と親の小言はあとで効く。」