ここのところ太平洋戦争関連の本を続けて読んでいる。陸軍と海軍の対立は明治憲法の欠陥であると、これでは戦争など戦えないと東條英機が「遺言」に残したというのもわかるなと。海軍と陸軍の対立がひとごとではないなと。人ごとでないというのは、自分の会社の組織運営のことだ。
私の会社でもご多分にもれず主に二つの部門からなる。陸軍と海軍のようなものだ。この2つの組織はそれぞれの長がいるが、社長に直接つながっている。この間に統合参謀本部があろうと、経営企画室があろうと、組織は組織なのだ。
「国の死に方」を読んでいると、いかに組織というものは劣化していくようになっているかよくわかる。様々な形の君主制であれ、民主制であれ、組織はますます官僚化していく。権力は下方へ降りていく。結果、下部の組織と組織の横の連携がとれなくなって、会社なり国なりというひとつのまとまりがなくなっていく。
- 作者: 片山杜秀
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/12/15
- メディア: 単行本
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私もほぼ毎日組織間の連絡の悪さからおこる事象を目の当たりにしている。明治憲法では元勲という方々がこの横の連絡を取っていた。現代日本の会社組織で言えば、非公式なチャンネルがこれをうめていることが多い。たとえば、同期入社のつながりというのは大きい。同じ年代で、同じ研修を受け、同じ苦労をしていた仲間意識。同期の集まりの場で、公式なチャンネルでは流れてこない、会社全体の方針やら、個々の組織の問題などが流れてくる。以前の私の職場では、この同期システムが非常に効果を発揮していた。会社の側からも、職位の昇進の初発から業績考課などの評価、異動まで同期を非常に意識した人事システムになっていた。実は、非公式な連携の取り合いが実は組織を支えている。稲盛塾長が盛和塾で「コンパ」を進めるのは、そういう意味もあるのだと私は想っている。
で、こういう工夫はトップがやらないとできない。部門毎では、部門の中の価値観、身内びいきしか生まれない。いや、ある意味同期システムや、非公式なチャンネルというのは、公式ではないので、社風とか、会社の体質といったものだから、トップですら一朝一夕にはできない。少なくとも、中小企業では統治もするし、君臨もする。会社の全責任を俺が担うんだという気概がないと非公式のチャンネル、仲間意識、よい社風はできない。つぶれるかもしれない危機感を常にもった組織でないとここに真剣になれない。
この意味ではつぶれることもなく、辞めさせられることもないお役所では、通常の会社以上に横の連携を深める工夫をしないと、まったく動かない組織や、身内への甘さから不正をゆるす体質になってしまう。この体質、立場は、戦前でも戦後でも変わらないのだろう。逆に、ヒットラーのようになかなかつぶれない組織で危機感を訴えることもまたどこかでつまづく。日本国内の某首長さんとかもそうかなと。
重々自分自身に反省しないといけない。なんだかんやいっても組織人が成長し、社風、体質を高めていくしか組織はよくならない。