HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

私がそれでも成田に住み続ける理由、その魅力を3つにまとめて語ります

熱く街への想いをブログで語ることがはやっていると遅まきながら知った。参戦宣言をしたので、我が街成田について語りたい。


①成田大好きな人がたくさんいるから

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のっけからディープな話しをしたい。私は成田で生まれ育った。記憶のあるかぎり、こんな田舎町の成田から外へ出たくて出たくてしょうがなかった。高校で家と成田を脱出した。大学では更に成田から遠くへ落ちのびた。卒業後は「東京サでるだ」と都内に就職し、さらに遠くに住むようになった。更には修士号を取りに行くという名目で米国まで逃げた。

大人の事情があって成田に戻って仕事を始めた。それでも、都内に近づいていくことが仕事の繁栄の方向だとずっと想っていた。しかし、仕事はなかなか上手くいかず、5年も経つ内にはストレスの塊のような状態になっていた。そんな時に、禅の師匠に「もっと足下を見なさい」と言われた。浅草の桃知師匠に街の楽しさを教えられた。そして、ようやくふるさと成田で仕事をする腹が固まった。

成田に仕事を集中する気にはなってはいたものの、商売がらとてもとても成田で食べていけるわけはないと半信半疑だった。しかし、心底から成田に戻って仕事をすると意識すると、成田のみなさんの成田大好きさが半端ないことに気づかされた。その大好きを感じる機会がが相次いだ。仕事も、多すぎもしなかったも、足りなくもないほどにもらえるようになった。というか、気がつくと街づくりの楽しさに夢中になっていた。この変遷はこのブログで10年書き続けた変遷そのものでもある。成田の田舎にいながらブログを書き始めたのは、まだ成田から逃げたいという想いの噴出であったと今更に想う。

なぜか?成田には成田に熱い想いを持っている人がたくさんいる。「成田が大好きだから、成田を大事にしてくれる人がいるところっとのっちゃうんだよな」と某成田のご長老が語っていた。成田大好きな方々に囲まれて仕事をするのは、とても幸せなことだとようやく分かった。


②成田には歴史と伝統と未来があるから

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成田には祭りがある。7月の第一金土日は、祇園祭りに街が染まる。行き交う山車、屋台に、いつもは冴えないオヤジがいなせな祭り姿に変身する。

成田には伝統がある。永くご本尊を守ってこられたおうちがいまも隆盛に栄えていらっしゃる。知られていないが、自動車の交通安全祈願を始めたのは成田山が最初だ。いまでは、飛行機の交通安全も成田山が当たり前となっている。先日も、友人を成田山の本堂から大塔、成田山公園、書道美術館、公園内の料亭へとご案内して感激された。

最近お騒がせな小泉元首相のおじいさまの銅像もさりげに成田山公園にある。

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成田には未来がある。羽田に押されているという印象を持たれやすいが、暦年の平成25年では利用客数は三千五百万人を超え過去最高を更新する模様。第三滑走路、MICE/IR構想もある。

成田は、歴史と伝統にしっかり足を載せながら、未来の発展繁栄に向けて開けている。


③成田は都内からほどよい不便さがよいから

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遠い遠いと言われるが本気になればヘリコプターでアークヒルズまで20分。

京成電鉄のスカイライナーなら36分2400円。

バスなら銀座から60分1000円。

でも、本当は都内から50km圏。決して近くない。この不便さがいい。これ以上首都圏に近ければベットタウンと化してしまう。地方都市とはいえ、成田は昼間人口の方が夜間人口より多い。適度に不便な立地で、地元に若者の仕事があることが成田の幸せ。夜の成田参道の賑わいは、インターナショナルなクルーの方々も行き交いまた格別。


それから、それから、それから・・・。「それでも成田に住み続ける理由」は3つじゃ治まらなかった。まだまだ語り尽くせないが、それでなくともすでに冗長。想いの余りとご勘弁を。