HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

和辻哲郎の「孔子」の原典批判の徹底ぶり

これまでどの「孔子」を読んでもしっくりこなかった理由がわかりはじめてきた。これだけ沢山の方々が孔子の伝記を著し、論語の注釈や、解説本を出している。しかし、孔子その人の人格が伝わってこない気がしていた。なぜなのか、その理由が分かり始めてきた。

孔子

孔子

こんな名著を無料で、しかも物理的な本すら手にせずに読めてしまう21世紀に生まれてきて良かった。

とはいえ、岩波文庫版も買おうかな。

孔子 (岩波文庫)

孔子 (岩波文庫)

和辻哲郎先生にかかると孔子の言行を伝える古典はめためただ。司馬遷の「孔子世家」も、論語の片言隻語というか、一部の言葉と伝説をまぜあわせたものにすぎないことを見事に立証している。「論語」そのものすらかなり危うくなる。つまりは、現代の私たちが孔子の言葉だと想っているものの大半はのちの人々が作ったものにすぎないのだと。

しかし、そのこと自体は儒教論語の価値をさげるものではないと、わざわざキリスト教の福音批判、仏教の経典批判をした上で、孔子に入っていっている。中国古典だけでなく、ラテン語、フランス語の素養、仏典の深い理解があり、はじめて著せる。いや、和辻哲郎先生、すごすぎます!