先日、娘が「37458」(みなしごはっち)という歌をカラオケでうたったのを聞いた。世代の間隔を感じた。つーか、歌の内容にショックをうけた。
このなんとでも言える世界がいやだ
なんの気なしに見てたい ただ ただそれだけなのに
このどうとでもとれる世界がいやだ
どうでもいい もう黙っててパパ 黙っててパパ
価値観も、信仰も、合理性も、怒りも、悲しみもすべて持っていても、持っていなくても許容されてしまう世界は逆に住みづらい。生きていくのに困難があるから、命は燃え上がる。生まれてから一度も命の危険も、貧困も、困難も選択したことのない子どもには、「理由はないけどいや、みんないや。いまもいや、みらいもいや」と思えてしまうのだろう。
ドラッカーの「「経済人」の終わり」にも到達しない。

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もう一曲、「おしゃかさま」という曲もカラオケで聞いた。平成生まれの子どもたちの明るい絶望感、「だって私たち『ゆとり』だしぃ」といえてしまう開き直り。
ま、実際いい曲なのは間違いない。
お前らそんなんで世間の荒波を渡っていけるのか?と言いたくなるのを、「黙っててパパ」と言われそうで言えなくなった。
子どもの成長、自立の切望に対して、親は黙っているしかない。人生の痛みは自分で味わうしかないのだから。子どもの幸せ、満足を祈らない親はいない。
これいい、すごくいい。
「37458」とどっちが先の発表かわからないけど、「2秒前までの自殺志願者を 君は永久幸福論者に変えてくれた」というフレーズがいい。人は恋いをして、自分の使命を自覚する。