HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「みんながもった戦後の夢」

「祖国復興に戦った男たち」(旧題:「山西独立戦記」)を読んでいる。戦後の歴史のはざまで消えてしまった口語歴史がここにある。

祖国復興に戦った男たち―終戦後四年間も中国で戦った日本人の記録

祖国復興に戦った男たち―終戦後四年間も中国で戦った日本人の記録

やはりと思ったのは、この節。

承前)こういった捲土重来と、海外日本人勢力の保存確保といった考え方は、満州華北、華中南を通じ、いたるところの日本人が頭に描いた戦後構想であったようだ。日本人が幼い時から受けてきた教育は「海外雄飛」であり、「日本の国土が小さく、人口が多く、資源が少ない。海外資源と市場を確保しなければ生きてゆけない」という考え方で一貫してきていた。だから、敗戦という一切の海外根拠地の破滅を意味する決着に際し、なお海外に日本人勢力を保存して日本の再起に備えようという考え方になるのは、当然すぎるほど当然であり、なにも私たちだけが考えついたことではないようだ。


戦後、北でも南でも、中国の各地に踏みとどまろうとした日本人は少なくなった。吾々が山西に残って体制整備をした後、各地と連絡をとってゆくと、満州から、河北、山東、上海、杭州武漢から海南島まで、あっちに一人こっちに二人、多いところで、上海、天津等の2〜30名から数百名まで、いろいろな形で残っていた。(後略)

インドネシアの「青年道場」の指導将校しかり、小野田寛郎さんしかりで、陸軍中野学校卒の方々に戦後もまだそれぞれの戦いを続けた方が多いように思う。すごいことだ。