HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

夕暮れ時には鬱になる

最近、思うのだけど、原始時代に洞窟で寝ているころから、誰が誰の隣で寝るかとかものすごく大きな問題だったに違いない。日本語でも、英語でも、「○○と寝る」ってかなり深い関係を結ぶことを意味するのは、そのころからの集団的無意識が未だに残っているからだ。

女性が男を選ぶ基準って、隣で安心して寝れるかどうかって結構大きな基準なのじゃないか。洞窟時代なら、獣から守ってくれるとか、十分な食料を寝る前に食べさせてくれるとか、もちろんほかの面でも満足させられるかどうかが大切。まして、ほかの女に貢いだりしないで、自分だけを守り、食わせ、満足させられるかどうかが生き死にかかわる重大事であったはずだ。

だから、暗くなる頃って、ああ、今日はちゃんと愛する相手が隣に寝てくれるかなって気になるから鬱になる。男は女を求め、女は男を求めたくなるのが夕暮れ時。暗くなってからでは遅すぎるから。

5時前にこんなに暗くなってしまって、寂しい思いのする初冬の夕暮れ時には、ムーンライダーズを聞きたくなる。

ネアンデルタール人にはできなかった男女分業がクロマニヨン人にはできたのは、この辺が結構大きな問題だったはず。