隆慶一郎にはまっている。「かくれさと」は輶氏自身の色懺悔、人生経験が織り込まれている気がしてならない。が、それは今日の本題ではない。
- 作者: 隆慶一郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1990/09/27
- メディア: 文庫
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本書に以下のような記述があった。
『五大力』についてはよく分からないが、住吉神社の境内に五大力社があったというから、或は昔住吉神社にあった百大夫社の本地仏を五大力といったのかもしれないと、滝川政次郎先生がかいていられる。
兵庫県西宮市の百太夫社に祭られた道祖神。平安時代は遊女が恋愛神として、また近世は傀儡師(くぐつし)が祖神として祭った神。
百太夫(ヒャクダユウ)とは - コトバンク
いやあ、最近どっちを見ても五大力ばやり。それにしても、民間信仰の百大夫と胎蔵曼荼羅のゴレンジャー、五大力が本地垂迹の関係なのか?
百大夫は遊女や郭の女たちが信仰していた民間神のことをいう。道祖神に似たもので、陽物を象っていた。つまりペニスである。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1154.html
「五大力菩薩」が不動明王を中心とする「五大明王」信仰へとつながったと本書にある。「五大明王」は、たしか以前京都の東寺に行ったときに見た記憶がある。
「五大力」とは「五大明王」 - HPO機密日誌
ぐぐってみたら・・・、意外だった。
(本地仏の性格によって類推できるものもある。)今「夷」についてみると、その本地仏は「毘沙門」であり、「三郎殿」には「不動明王」とある。長沼賢海氏によるとそれより古く大和吉野郡石井庄下の「石井村八幡宮の棟札」に、
夷 不動 三郎 毘沙門 百大夫 不動五大力
元慶元霜月十三日 云々とあることを挙げていられるが、もしこれが確かなものであれば「えびす」の最古の例とすべきであろうが、この元慶元年の紀年には、にわかにしたがい難い点があるから慎重に扱うべきであろう。
えびす信仰事典 - Google ブックス
大日如来と不動明王の化身の関係はまだ理解できるが、百大夫と五大力。まだ納得いっていない。五大力には、五大明王以外の意味があるのだろうか?
本地という思想は、仏教が各地で布教されるに、その土地で様々な土着的な宗教を包摂する、という性格をもっていることに起因する。それを表すように、仏教の天部の神々のほとんどはインドのヒンドゥー教を由来とする。またその思想概念は、後期大乗仏教で、本地仏大日如来の化身が、不動明王など加持身であるという概念を生むことになった。
本地垂迹 - Wikipedia
ちなみに、元慶元年とは?
なんとやっと九世紀。このころから、五大力も「百大夫」もすでに出現していたことが不思議だ。曰く言いがたい。