HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「もし釈迦国シッダールタさんが建築屋の社長だったら」

正法眼蔵随聞記」を少しずつでも読み続けている。

世の名利を離れて一介の修行者となるということは、世人の不たしかな分別判断を気にかけないことである。ただ仏祖のなさったあと、菩薩の慈悲の行いを学び行じ、諸天善神が目に見えないところではっきりと見ていられることを思って自らの欠点をかえりみ、仏様のきめられたきまりの通りに行じてゆけば、何も気にすることはないのである。

ほんとうにその通りだなと思う。自分などは凡夫匹夫のたぐいだな、どうしようもないなとつくづく思う。ただただ「仏祖のなさったあと」を歩む努力はしたいと思う。そう思うこころと、貪・瞋・癡にまみれた自分のからだの相克を離れることが出来ない。

お釈迦様はご自身の国すら捨てた。親も捨てた、妻も捨てた、子も捨てた。ただただ真理の道をあゆまれた。そもそも、建築屋の社長などおうけにならないのだろう。

迷いに迷っている私はそれでも、建築屋の社長として自分をまっとうするしかない。なかなか「仏祖のなさったあと」を歩むには、愚の愚である私には難しい。