HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

中村隆俊さんの「素直な心」の教え

職場で「月刊 朝礼」という本を朝礼のテキストで使っている。毎日一話ずつ職場で参考になる話しが載っている。これを司会が読み、二人ずつ感想を言うことになっている。毎回とても勉強になる。

この朝礼に「商道百話」という連載を元・松下電器産業の人材開発センター営業研修所所長の中村隆俊さんが書いていらっしゃる。この話しがまた格別すばらしい。この「商道百話」が一冊の本になったら私は速100冊買って社内のスタッフと関係のみなさんに配る。当然、中村さんにもご講演か研修をしていただく。

この中でおもしろいデモンストレーションが紹介されていたので、再現してみたい。お題はいかに私たちのこころが偏見にとらわれていて、素直な心になれないかだ。

まずは、穴をあけた白いA4コピー用紙を用意する。

これがあなたの「偏見」だ。どういう意味かわからないって?この紙を両手にもって、この穴から先を覗こうとしてみれば分かる。

まずは手を伸ばした状態。

先に赤い光るものがあるのが分かる。ここで何があるかわかった人はかなり観察力のすぐれた人だろう。分からない?そうでしょ、そうでしょ。そうでなきゃ話しが先に進まない(笑)。実はこの状態が通常の私たちの偏見にとらわれた心の状態。見ているつもりでも、見ていない。見ている対象がなにかよっぽど考えなきゃわからない。

では、手をすこし縮めて穴を目に近づけてみる。

これなら何が先にあるかわかるかな?この状態だとちゃんと見てさえ居れば対象物がなにかがかわかる。たぶん、これくらいの集中した状態で仕事をしているのだろう。

では、白い紙をとりさってみよう。

赤いポストまでは見えても、背景の本やまして、後ろの家具までは、白い紙ごしでは絶対にわからない。

こういう心の状態を松下幸之助さんの言葉を通して中村さんはこう表現されている。

「素直な心とは、何から何まで”はい!”と逆らわずにいることと違うで!何が正しいのかの基準(私はこの基準は、経営理念と心得る)で、その人が間違っていると気づいたら”いいえ”と言うのも又、素直な心やで」

(中略)

かたよらず、こだわらず、とらわれず、「素直な心」初段を目指して、公私に亘り生きようではありませんか。

「商道百話」のすばらしさの一端が伝わるように、ブログのエントリーもかけるようになれば、また、私も「素直な心」に近づけたことになるのだろう。