HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

夏目漱石の「行人」って「お嫁に行く人」ってこと?

例によってiPod夏目漱石の「行人」を読了した。iPhone/iPod用の青空文庫リーダー、豊平文庫はとてもよい。「字詰め」機能で一行あたりの文字数を変えられるので、目の悪い人にもとても読みやすい。私もずいぶん調整をかさねて、目に負担にならない、かつページをめくるのがおっくうにならない「字詰め」を発見した。

いや、豊平文庫の話しはワキに置く。

結婚の話しかと思って読んで行ったら、最後でひっくり返った。よく言われる「近代知識人の苦悩」の物語だ。それでも、「行人」ってお貞さんが嫁に行くという意味だと思う。それくらい、この作品では最初から最後まで一貫してお貞さんの嫁入りがモチーフになっていると私は思う。

全体の8割を「語っている」二郎は結局狂言まわしの「ワキ」にすぎない。漱石は、自分自身を二郎の兄の一郎に仮託して、家族のものから見た気難しい自分と、考えに考え抜いても絶対の境地に「行く」ことができない自分の対比を描きたかったのだろう。そして、日常から自分自身らしさで生き抜いているお貞をひとつの理想とおいている。モデルになった女性が漱石のまわりにいたのかどうかは知らない。

兄さん(一郎)はお貞さんを宅中で一番慾の寡ない善良な人間だと云うのです。ああ云うのが幸福に生れて来た人間だと云って羨ましがるのです。自分もああなりたいと云うのです。お貞さんを知らない私は、何とも評しようがありませんから、ただそうかそうかと答えておきました。すると兄さんが「お貞さんは君を女にしたようなものだ」と云って砂の上へ立ちどまりました。私も立ちどまりました。

この引用箇所は「手紙」として書かれている。この「手紙」を書いたHは、登場人物の男の中では、もっとも度量のある誠実な人物として描かれている。その男に「君を女にしたようなものだ」という言葉は、いきいきと生きているのだとお貞を描いているといっていい。

本作品には、結婚の類型がいろいろ出てきて身につまされた。子はなくとも仲の良い岡田夫妻、長年連れ添った二郎の父母、互いに打ち解けない一郎と直夫妻、失恋から立ち直って婚約した三沢など、決めごととしての結婚を見事に描いている。この作品が途中までうんざりするようなしつこさで書かれているのも、結婚というのは絶望的なねちっこさしかないからだろう。

少々驚いたのは、本作品のひとつの主張が制度的な結婚の枠組みを超えようとするほど強い男女の深い想いこそがほんとうの想いだということだ。「それから」、「こころ」、「門」など、友人の女を自分のものにしてしまう男を執拗に描いてきた漱石なればこそ、結婚を超える想いを正当化するのもおかしくないのだろうか。近代人の孤独と、そこから生まれる情熱を感じる。

おっと、「行人」って仏教用語なのか?

いや、それでも私は「嫁に行く人」だと信じる。