「数覚とはなにか?」で長い長い一章が数学教育批判に当てられている。ごくごく簡単な計算が欧米言語だと数詞の複雑さと、九九を覚えさせられないことによりいかに数学的センスがみがかれないかについて書いてあった。
- 作者: スタニスラスドゥアンヌ,Stanislas Dehaene,長谷川眞理子,小林哲生
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/07
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 144回
- この商品を含むブログ (30件) を見る
フランス語ちょっとやった人なら、「4つの20」で「80」とか、欧米の言語って数字をあらわす言葉がやたら複雑。天才的な数学者はいても、一般人にとって数字の言語体系が複雑なほど、認識したり、表したり、数えたりするのに心理的なリソースを使っていることが実験で確かめられているのだそうだ。
本書には明確に書いていないが、認知科学ではヒューリスティックとアルゴリズムは、別のものだとされている。ヒューリスティックとは、直感的、場当たり的、アドホックにものごとに取り組む方略を言うのだそうだ。アルゴリズムは、かなり考え尽くされた計算の方法だ。
九九を教えてること、計算方法の工夫をさせることを教えることで、暗算のスピードは飛躍的に早くなることが証明されているのだそうだ。本書発行から十数年たっていまではだいぶ米国の教育界も改善されたようだが、それでも数学とはある程度まで暗記するというのが基本のようだ。さもなければ、いつまでたっってもヒューリスティックなレベルと終わってしまい、計算や数学的思考のアルゴリズムが身に付かない。
計算をする時間と、アルゴリズムから導かれた計算のステップ数というのは比例するらしい。どれだけ時間が習熟によって計算時間が短くなっても、計算の複雑さに回答する時間は比例する。そして、計算時間はいかにヒューリスティックをアルゴリズムに置き換えるかにかかっている。つまりは、人生の早いうちから、計算問題を繰り返すこと、常に計算の工夫をすることを習慣づけるかで、数学的なセンスを生かした仕事ができるか否かがかかっている。
もうちょっと書かねばならない気がするのだが、眠くて脳のリソースが十分に割り当てられないようなので、そろそろ寝る。