法隆寺の棟梁として有名な西岡常一さんは、まだ弟子入りしたばかりの小川三夫さんの目の前にかんなを削ってみせたという。その削りかすを小川さんに渡し「こんなふうにかんなをつかえるようにしろ」とひとこといった。それだけ...。それでも、西岡さんの後継者となるほどの小川さんのことだから、そのけずりかすを作業場の壁にはって毎日練習したのだそうだ。
- 作者: 西岡常一,小川三夫,塩野米松
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/07/28
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このあとの小川さんの話がいい。これが人生の本質だ。
これが訓練校で少し教わってきたら違うんだよ。「こうやれば削れる」って説明してくれるだろう。だからその説明が頭から離れないんだな。できるだけそれに近づこうとする。そのことが頭からずっと離れないんだ。それに凝り固まっちゃうんだな。そのためにかえってわからなくなる。大工みたいに体でものを覚えなきゃならないものによけいな知恵はいらんのよ。かえって邪魔なんだ。自分で考え、体で覚えたことは、まだなんぼでも伸びていく。だからある意味では知恵なんかなくたっていいんだよ。そのほうがずっと身につくし、自分で考えるようになる。でもよ、知恵をなくいせっていったって、人間、そうなかなかはいかないよ。そこから一歩も出られないのが人間だからな。
残念なのは、ネットだの、携帯だの、教育ママだのばかりの今の世の中では知識偏重になっていること。ノウハウなんて、ネット検索して出てきたものなんか焼くにはたたない。そんなで成功したやつがいたら、言ってこい。教えているふりで有名になって金を稼いだやつはいても、おそわってえらくなったやつ、金持ちになったやつなんて会ったことはない。
ネットで検索したことなんて、自分で自分の道をふさいでいるようなものだ。一旦知ってしまえば、もう自分で発見して、からだからかわってくることができなくなるわけだから。
ただただ、知恵をすて、知識をすてて、自分のからだで働くべきだな。自分で行動して、なんぼだよ。言葉に価値があるのだとすれば、命令して行動させることができることくらいかな。例の「あなたが来いといえば来る。行けと言えば行く。」と答えたローマの百人隊長かな。
とにかく、手を動かすことは楽しい。今日生まれて初めてフラワーアレンジメントをしてみた。
ちょっとしたイベントがあり、時間に追われながら、やむにやまれず、ウェルカムボードをつくるかわりに我流で活けた。できはともかく楽しかった。