三島億二郎の話をうかがう機会があった。三島は、私の大好きな「峠」にも出てくる、長岡の英傑だ。
長岡の将来を決めたのは「峠」の主人公、河井継之助であった。その生き方、死にざまはいさぎよい。しかし、河井は永世中立国構想が破れ、戦いに敗れ、郷土の長岡も敗れた。年を経るに従ってこの河井の生き方はほんとうに正しかったのか疑問に思うようになった。
今日の講師の方からの話が私の胸に突き刺さった。
「三島が長岡の復興を果たした。三島にはドラマはない。当たり前のことを当たり前に行っただけで、小説の主人公としてはなかなかとりあげづらい。三島の長岡復興には、陽明学があった。陽明学とは再生の学問だ。再生の学問としての陽明学を一言で言えば、『君主のために国があるのではなく、国のために君主があると』ということにつきる。」
一昨日行ったプレゼンテーションでいくにんかの方から質問をいただいたのは、「ファミリービジネスにおいて間違ってはならないのは、家族のために企業があるのではなく、企業のために家族があるのだという自覚だ。」というくだりであった。
家族の伝統の継承は、家族の中で私的な生活の中で行われる。口伝えの歴史、親の生き方、世代を超えた交流により、教育が行われる。親に私情がなければ、子どもは育てられず、教育できない。
家族の私情に対して、企業はあくまで公の器だ。顧客、社員、取引先の幸せを実現するのがその役割であることに疑問はない。企業の運営には、いかほども私情もはさんではならない。選択と排除の原理原則が徹底されていなければならない。
しかし、長寿企業には必ず中核となる家族があるように私には思える。それは、永続する意思と教育は公の器である企業内だけでは行われえない部分があるからだ。

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かくして、現代における企業においても、家族と企業との相互関係の理念をきちんとあきらかにしなければならない。経営者は自分で自分の家族と企業の関係について答えを出さなければならない。これは講師の方の語る陽明学の到達点そのものだ。
この問題に明確な答えを出し、実践したのが三島億二郎である。
三島は伊丹家の次男として生まれた。山本五十六が「おれはおじ(次男)だ」というのが口癖であったと講師の方がおっしゃっていた。昔の次男とはそのままでは部屋住みの地位しか与えられず、もしかすると一生結婚することもままならなかったのだそうだ。億二郎も二男であったために川島家に養子に出された。そんな人生の悲哀を味わった億二郎が出した長岡復興の五原則は実にひとのこころの機微に通じるものがある。講師の方の資料から写させていただく。
まだまだ書き足りないこと、まとめたいことがあるが、まずは印象がうすれないいまのうちに書く。漢字を含め、多々間違いがあるように思うが、後ほど修正したい。