HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

寿と祝福されているからこそ命

ふと、「寿命」とはすごい言葉だなと気づいた。天から祝福され、与えられた命という意味だと私は受け取った。単に自分の生きる年を重ねるというだけの英語のAgeとかDurationという概念を超えている。生命倫理の分野で、クオリティ・オブ・ライフ(QoL)という言葉がある。その言葉を輸入して使う1000年も前から、「祝福された命」のみが人に与えられているのだという考えを我々日本人の先祖は持っていたのではないか?

寿(ことぶき) - 語源由来辞典

先日、家人に言った。「俺は自分で自分の下の世話でできなくなってまで生きたいと思わない。自分で自分の食を絶って死ぬくらいの意思がもてなくなったら、延命措置などする必要はない」と。

ガリバー旅行記のフウイヌムの死に方は私の理想だ。

彼等は大てい、七十か七十五まで生きます。たまには八十まで生きるものもいます。死ぬ二三週間前になると、だん/\身体が弱ってきますが、別につらくはないのです。そうなると、友達が次々に訪ねて来ます。つまり、気楽にちょっと外出するようなことができないからです。いよ/\死ぬ十日前頃には、今度は橇《そり》に乗って、ヤーフどもに引かせて、ごく近所の人たちだけに答礼に出かけてゆきます。彼は答礼先へ着くと、まず、お別れの挨拶をのべるのですが、それはまるで、どこか遠いところへ旅行するときの別れのような恰好なのです。

ガリバー旅行記から学ぶ超高齢社会 : ストラルドブラグからフウイヌムへ - HPO機密日誌

先日の新聞にクライン孝子さんがスイスやドイツなどで尊厳死が認められる動きがあると書いていらした。

ところがドイツの連邦議会では、つい最近(6月18日)、この問題を正面からとりあげ、「死ぬ権利」を認めて安楽死および尊厳死を容認する「患者対処法」を成立させた。ただし、この法律の成立にあっては6年もの月日をかけた。何度も修正を加え吟味し、採決し直したうえ、最後に賛成317、反対233、棄権5で可決する念の入れようで、そのことも忘れてはならない。

http://sankei.jp.msn.com/life/trend/090630/trd0906300302001-n1.htm

まあ外国のことはどうでもいいし、日本の国の法律がどうであろうと私はかまわない。私は祝福された寿である命を燃やしつくすだけだ。祝福された年月がすぎれば、食べ物を絶ってでも自分の意思で自分の生にピリオドをうちたいと私は思う。もし、その意思が通せず死のを待つばかりであれば、そのまま死なせてほしいと。

フウイヌムのようにごく普通の習慣として老醜をさらす前の死が認められないのなら、寿命の終わり方まで指示した遺言書を作るか、尊厳死を求める誓約書でも作っておけばよいのだろうか。つらつら考える。