HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

すべてはつながっている

いうまでもなく、ももちさんからはほんとうにいろいろなことを教えて頂き、現在の私の仕事の仕方にまで影響している。それは、我が街への回帰がいかにすばらしいものであるかだ。

ももちさんが「街的」とおっしゃる根源には普遍経済学、「無償贈与」、「ボロメオの結び目」がある。恵みと利得と貯蓄の三位一体だ。

「純粋消費」の原動力は「純粋欲望」だろうか。ももちさんのお考えとは反するかもしれないが、主体側から見ると、「利益」をあげたい、得をしたいという欲望、「貯蓄」をしたい、楽をしたい欲望、「恵み」を受けたい、愛されたい欲望の三位一体となるのではないだろうか?

普遍経済の中心にあるもの - HPO機密日誌

しかし、この三位一体はをどのように現実の資本主義経済に結びつけたらいいのか確信がないままにいた。昨日のアゴラを読んで、池田信夫先生がはっきりおっしゃってくれている。

このメタファーは有名で、生物学にも「赤の女王仮説」というのがありますが、ビジネスにも通じます。資本主義は、つねに新しいことを続けていないと競争に敗れる、赤の女王の世界なのです。これは実は、新古典派経済学が想定している市場経済とはまったく別の原理です。市場経済古典力学的な均衡に向かう熱的な孤立系で、均衡状態では利潤はゼロになります。しかし利潤がゼロになったら、資本主義は終わりです。それ(資本主義)はつねに外部からエネルギーが供給され、利潤という不均衡を作り出す非平衡系なのです。

逆を言えば、「外部からのエネルギー」という無償贈与を人の欲望に変換する装置が資本主義であるということだ。この先にあるものだとして、池田信夫先生が書かれたのが今日のエントリーではないだろうか。

本書は、経済学でいえば『国富論』のような文化人類学の古典の新訳である。その最大の発見は、市場における交換より共同体の中の贈与のほうが人類史の大部分において普遍的だったということだ。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/166d3ce9e4d24cd20b30fb5bf8cfa93a

そして、ももちさんと池田信夫先生をつなぐ普遍経済学の先にあるのが現在の状態であると。

それが恐慌であり、戦争である――というバタイユの「普遍経済学」は、新興国の過剰貯蓄を蕩尽した世界経済危機をうまく説明しているようにみえる。

この贈与論を書いたマルセル=モースとの出会いはよく覚えている。

あれは大学1年生だったころ、関先生の文化人類学の授業が大好きだった。デュルケームや、モースなど、社会学から文化人類学へと一連の流れを教えてくださった。なぜか、レヴィー=ストロースにはあまり触れられなかった。祭典の分析の中で、どこの部族民だったか、通過儀礼のために若者たちが日常から隔絶され、ひとつの死を意味する儀礼に参加し、さらに祭礼が続き、ゆっくりとこの世に戻ってくる。この過程の中で、ポスト・フェストゥム=祭りの後の過程が大切なのだとおっしゃっていた。

はてある物語 : must-end story - HPO機密日誌

なつかしい思い出だ。20年以上たって、あの日と今日の日がつながっている。

ということで、某所で宣言したまま勇気がなくて言えなかったですが、池田信夫先生、ももちさんとの合同勉強会に参加されませんか?28日土曜日なのですが?