HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

日本国中不況なわけではない

「かがり火」(参照)の1月号をいまごろ読んでいる。

この方の談話に感動した。

世の中は片面だけでは分からない
大阪府摂津市/菓子問屋(株)吉寿屋 代表取締役会長 神吉武司さん
「わが社は不況の影響は限りなくゼロに近いです」とおっしゃるのは、大阪府摂津市で菓子問屋吉寿屋を営む神吉武司会長である。

かがり火 128号

不況だから、金融がおかしいから、すべてが悪いわけではない。経済指標だけが幸せではない。世の中の底がぬけているように思えるときでも、人が生きている限り商売は終わらない。経済的には終わったと言われる状況になっても、自分にできることはあると思う。そうそう、いくらこの「日記」が意味がないと言われても、この日記を書き続けることくらいは私にはできるだろう。まして、自分の生まれ育った街では、もうすこしできることがあると思う。

というか、それ以前に田舎にいると経済が大変な危機であるという感覚に乏しい。この前仕事でおじゃましたある農家で、その場でふきのとうを取っていただいてきた。てんぷらにして家族と食べたら本当に春の味がした。今回の「かがり火」で取り上げられている経営者の方々も、ただただ自分のなすべき仕事をしているだけなのだろう。世界経済が、日本の株が、ましてや中央の政治がどうなろうと、ただ我が商売に打ち込むだけなのだ。

イタリアのボローニャのお話も示唆するところが大変にあった。すこし長くなってしまうが、引用させていただく。イタリアは中小零細企業ががんばっているという話で、特にボローニャではパッケージングの機械を作る会社が古くからあって、そこから独立した会社もそれぞれに大変に成功しているのだという。

―同じような機械をつくる会社が集まると、日本では資金力がなかったり、販路を持っていない新規参入の会社は生き残れない場合が多いのですが、ボローニャではよく共倒れにならなかったものですね。
佐々木 そこがボローニャの立派なところですが、独立していく会社は母会社と同じものはつくらないという慣習というか、不文律のルールのようなものがありました。ですからIMA社やGD社は、ACMA社が得意としていたチョコレートの分野はやりません。そして、IMA社やGD社を辞めて独立した会社は、今度はティーバッグや薬品やたばこのジャンルは扱わないということです。こうして次々に枝分かれして、新しい分野を開拓しますから、今は化粧品、トイレットペーパー、おむつ、避妊具、ペットボトルなど、あらゆるジャンルに進出しています。
パッケージングバレーの成長の秘密は、基本技術やノウハウを共有しながらも、それぞれの企業が異なる分野に“柔軟に専門特化”したことにあると思います。このことで共倒れを避けつつ、地域技術の革新を他地域よりも急速に進めることになり、「競争」と「協調」という、一見すると相矛盾する理念を実現したことになります。

かがり火 128号

イタリアというと、経済的にはかなり厳しい状況にあると思いがちだ。しかし、もくもくとがんばっている会社があり、生活を楽しんでいる人々がいると聞くと、本当の幸せってなんなのだろうかと自問したくなる。

ソーシャルキャピタルというのだろうか、社会の価値とはお金がいくら動いているという量ではなく、お金がどのようなネットワークの中で動いているのかということが大事なのではないだろうか。植物の道管の枝分けれのように、動物の血管のように、いかにスムーズに、フラクタルに、末端までエネルギーを生き渡せられるかが大事だ。社会に信頼が失われ、お互いに顔を見える関係で構築されるネットワークが破壊されたときの生活のひさんさは筆舌につくしがたいことだけはわかる。まさに、社会的な人間関係とは資本以上のものであるのだ。

このソーシャルキャピタルなるものを支えるのは、個人のごくごく普通の生活習慣であったり、礼儀正しさであったり、思いやりをお互いに示せるかであったりすると私は信じている。

ソーシャルキャピタルを作るのがソーシャルビジネスなのでしょうか?