HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

成田空港と同じ年の私にひとこと言わせてくれ!

私も反対派住民に対して思うことは多々ある。

正直言って、オレも同じ意見持ってますよ。「自分さえよければいい」と反対派が思ってたとまでは言わないけど、現実的な解決方法の糸口さえなく現在まで来てる。そのためにいろんな障害が出ていることは事実だからね。ハッキリ言って成田は世界的に遅れた空港になってますから。中国がうらやましいよ。マジで。

成田空港が許せない - (旧姓)タケルンバ卿日記

タケルンバさんの意見の前半には共鳴する。しかし、成田空港と同い年の私にとって、「世界的に遅れた空港」と言われてしまうとあまりに寂しい。

私は、当年とって42歳。結婚し、子どももいる。仕事もまじめにしている。もう、中年のおじさんだといっていい。

私が生まれた昭和41年の7月に成田空港の内閣閣議が行われた。過激派の介入などで予定より大幅に遅れはしたが、1978年に開港してからすでに30年がたつ。

そこで、「新東京国際空港」として建設計画が立てられ、当初は千葉県富里村(現・富里市)を建設予定地としていたが、地元自治体との調整は難航した。そのため、1966年佐藤栄作内閣は、建設予定地を同県成田市三里塚に変更した。国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林、またその周辺の土地は開拓農民達の物であった為、用地買収は容易に進むと考えたからである。

成田国際空港 - Wikipedia

これまでの42年間で、空港関係の方々、交通関係の方々が大いに努力されているのを見る機会があった。詳細は書けないが、必死の努力を続けている方もいらっしゃるのを見ている。実際すでにあと1人同意すれば、B滑走路は生き返ることができる。タクシーイングの通路も拡幅でき、A380の運用もずっと楽にできる。北総開発鉄道の延伸も進んでおり用地の目途がたったと聞いている。これが完成すると都心まで40分、羽田へのアクセスとさほど変わらなくなるといわれている。

都心から成田国際空港への所要時間を短縮するために、北総鉄道を経由する「成田新高速鉄道」構想が、2001年後半ごろから動き始め、2006年に着工した。

北総鉄道北総線 - Wikipedia

私は明らかに成田空港に思い入れのある人間なので、公平な意見はもてない。しかし、空港が計画された60年代に東京の上空を航空燃料を満載した飛行機が飛びまわることは明らかに危険が大きすぎた。実際にこれまでも東京周辺で事故は起こってきている。過密都市で起こる航空事故の被害は計り知れないだろう。閣議決定以降の手続きが強硬であった過去はあるかもしれない。しかし、いつまでもその過去にこだわっていて、反対派住民といわれる方々とその家族に未来はあるのだろうか?成田空港の未来といっしょに自分自身と家族の未来をも破壊してしまおうとしているのだろうか?

羽田の拡幅後に国際線が大幅にシフトする可能性がるのは否めない。それでも、まだ42歳の働き盛りだと私は自分を信じている。私の人生だってこれまで紆余曲折いろいろあった。成田だっていろいろあった。過去は過去として、未来には利便性の向上や羽田との連携を図ることでまだまだ活躍の場があるのだと期待しているし、信じている。

実は、私には子どもが3人いる。成田空港にも、Aラン、Bラン、Cランの3人兄弟を持たせてあげたいと思うのは同じ年の私の思い込みだろうか?


■追記

たった一人のために、何万人、何千万人、いや日本国民全員の国益を損なうことを42年も続けているのは一体何なのだろうかとdemocracyについて考えた。


■参照

id:it1127さん、ありがとうございます!

その後...