HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

過去も未来も存在しない

大学味講」を読んでいて、改めていま私たちにあるのは今現在なのだと確信した。

過去を訪ねられるというのはSFの世界だ。過去があるとしたらいまの私の中にしか存在しない。過去は私の中にある。

未来は不定だ。未来があるとすれば、これから私が作るしかない。未来は私の中にある。

私の中にこそ過去も未来もあるのなら、私は私を大切にしなければならない。私に許された時間をめいっぱいいきなければならない。

少なくとも私の中にある時間のうちでは、人はこのだだっぴろい認識できる限りの時空の中で孤独な存在であり、かぎりなく貴重な存在であるように思えてならない。

私が限りなく貴重であるなら、あなたは私にとってかぎりなく貴重な存在だ。

愛している...


また、えらくよいタイミングでid:it1127さんから去年のエントリーにコメントをいただいた。

質感を得ることが格物致知であるとすれば、私のキャッチコピーはこんなだ。

Feel the One. Be the One.

そして、それはこういうコピーに続く。

If you know you can change yourself rightly, you know you can change the world.

質感とはなにか? - HPO:機密日誌

いまならもちょっと短く"Learning yourself is changing the world."と言いたい。いや、まだ長いな。もちょっと考える。

...つーか、この話って足かけ10年考えてるんだね、私。

全然いま読んでも進歩が感じられないのはなぜなのだろうか?

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菅原兵治先生がすごいなと思うのは、「大学と古事記」とおっしゃっているところだ。「産霊」と書いて「ムスビ」と読む。「ムスコ」、「ムスメ」も「産す・子」、「産す・女」であると。人の本質は子をなし、育てていくことだとブログを書き続けていてつくづく感じるのだが、当たり前のように古典の中に描かれている。ことのはのいずるたびに、私たちは太古からつづく人の歴史の伊吹のなかにいる。

いらないことを言ってしまえば、本書の書かれた昭和50年前後というのは、案外こうした伊吹を見直そうという時代であったのではないだろうか。素朴に半村良の「石の血脈」や小林秀雄の「本居宣長」を連想するのは卑近であろうか?

石の血脈 (集英社文庫)

石の血脈 (集英社文庫)

本居宣長〈上〉 (新潮文庫)

本居宣長〈上〉 (新潮文庫)

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*1:ちょうどこのエントリーを書いているときに下書き機能がリリースされたのか、いつのまにか「下書き保存」のボタンが簡易編集画面に現れた。同時に携帯のRSSリーダーにブックマークの機能も付加されたようだ。id:jkondoに深く感謝したい。reikonさんに星をいただいたのもこの夏のよい思い出となった。あらためて、おめでとうございますと申し上げたい。
十分にありがたい話であるのが、もうすこしわがままを言わせていただければ、下書き機能のない一発勝負なはてなの世界が好きでまもなくはてな市民1500日を迎えようとしている私としては、簡易編集画面で下書き機能を無効にする設定ができたりするとなおうれしい。ま、いらないひとことをまた書いてしまったかなというところか。人は、ユーザーはわがままなものだねと我ながら思う。

*2:あー、もひとつ苦言。この前のエントリーからトラバいっているかもしれませんけど、28日のエントリーに加筆して、公開するかわりに間違って下書きボタンを押してしまい、下書きから復活させようとしたら29日のエントリーに入ってしまった。そっちから、トラバっていたかもしれないが、書きお直したので、こっちからもいっているかも...うーん、バグとは断定できないが、ちょっと混乱している。

*3:あ、jkondoさんでなく、こっちにとらばすべきでしたね。失礼しました。