中国古典はやはり深い。私ごときがどうあがいてもその射程距離からぬけられない。
二宮尊徳がたきぎを背負っても読んでいたのが「大学」だ。私が社会人となってから道筋としている「修身斉家治国平天下」の出典でもあるし、「明明徳」の額は高校生のころ毎日見ていた。
それでもいま菅原兵治先生の「大学味講」に触れられるのは幸せなことだ。足りないながらも社会経験を積み、古事記や日本古典に触れる機会を得てからよむ「味講」は格別だ。
タイトルは意味そのまま。PCにたどりつけたらももちさんにトラバを打ちたい。*1*2*3*4
*1:>>つまりそれは、人間の非合理性を受け入れるための社会的な厚み(つまりパトリ)を護持するための投資なのだ、と。 <<
*2:「大学味講」はもう絶版の模様。ISBNも見つからない。
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*3:書画はこちらがよいかな。→書画喪失、二宮尊徳翁と「大学」について
- いやしろ 高伝導炭・備長炭・炭埋(たんまい)
*4:二宮尊徳翁自身の「大学」も読みたい。 国立国会図書館デジタルコレクション - 報徳大学訓話