HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

法の下の平等とは原則に適合しない法律の改廃を求められること

人口減少の時代は法律減少の時代であるべき。人口も活動も減っていくのであれば、法律や規制も減るのが道理ではないか?日本の国の法律体系の原則に合わない法律は改廃すべき。「財務省」とかいうときの「省」とは「省く」ことが原義だとか。日本の政治、お役人の仕事はこれからいかに法律を少なくしたかで計られるべきではないか?

では、法律や規制の原則とはなにかという問題になる。私にいま答えはない。憲法すらほんとうに国の原則を示しているのかと疑問に思っている。英語が正文である憲法では、日本語しか母国語として読み書きできない私にとって十分に信頼できるものではない。憲法をめぐる法律の解釈にも違和感をもったままだ。

では、どうやって原則を見つけるのか?どうやって、原則に合う合わないを決めるのか?私は人が年をとるとは、衰えていく過程でその人の人格の本質が表出してくる過程だと信じている。日本が全体として年を取っていく中で、本質が表れるのだろうと期待している。これから起こることこそが日本の深層であるのではないだろうか?好むと好まざるとにかかわらず。

それにしても、いや、それだからこそ、私の仕事の分野だけではなくいろいろな方から最近できる法律や規制は意味不明であったり、常識とあまりにかけはなれているものが多いという声を聞く。正直、規制の現場で担当されるお役人の方からですら、「個人としてはおかしいと思うけど、書いてあるから仕方がないんだよね」という声を聞く。

では、「省く」ことが仕事であるべきお役所の法律や規制を行うご担当の方は、なぜ「これはおかしい」と言えないのだろうか?クライアントも企業も現場を担当されるお役人の方も「おかしい。誰の利にもならない。理念と矛盾している。まして、現場と乖離している。」という法律や規制に声をあげない。まして、の改廃について意見を出さない。それこそが、ほんとうに討議されるべきなのに。

では、パブコメの時点で出せばよかったじゃないかと言われるのだろうが、クライアントも企業も現場のお役人も、目先のことがあまりに忙しく、法律を作る過程にかかわれる人はほとんどいない。ごくごく一部の利権によってもとから守られている方々だけにしか私は思えない。政治家な方々とお付き合いしきるにもこれまた根性のいる話だ。時間とお金が相当にある方でないとお付き合いしきれないだろう。

先日のhashigotanの警察の介入の話にしろ、一方で権力のあからさまな誇示が行われている日本の現在と将来に身の毛がよだつ。なおかつ、警察のプライバシーの介入についてブログ界隈で真剣に問題にされているエントリーをまだ発見できていないことに失望する。

あ、ちなみに、こういうことも書いていても、自分自身も、自分の仕事も法律を守ることを基本的な姿勢にしていることは言うまでもない。ただ、やはり原理原則にかなわない法律や規制には、それを遵守するにしても、改廃について積極的に発言していく決意を固めたと表明しておきたい。