HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

経済の最適化ってなんなんだろうか?

計画経済はすでに破たんしているから違う。大企業だらけにするのとは違う(と思う)。働きたい人だけが働き、働きたくない人は働かなくとも最低限の生活はできる(それでも最低限の義務はあるだろうけど)。

昨日から考えているのだけど、「最適化」という言葉自体が私にはわからないらしい。

立証できてないけど、現代の日本ってかなりの人がすでに働いていない。2人に一人くらいしかすでに働いていない。

98年から04年の6年間で、就業人口一人あたりの一人当たりGDPは11%も増え、就業人口で総人口を割った数値は1.94人から.2.04人に増えた。これは、凄い上昇なのではないだろうか?しかも、冷静に見れば、98年から04年までで企業物価指数は約6%近く「デフレ」している。ということは、同じ生産性をあげても、6%も名目の価値は目減りしていることだ。ということは、11%を物価指数の0.94で割りもどした約18%も実質ベースでは生産性自体は高くなっているということなのだろうか?

我々の未来としての「ワンゼロ」 Our Future at Nirvana: HPO:個人的な意見 ココログ版

逆に言えば、2人に1人しか働かなくとも食べていける理想社会が既にここにあるということか?これ以上の最適化とはなんなのだろうか?

計画経済、大量生産への傾斜がすでに生産性を向上しなくなっているのは誰でも同意してくれるだろう。ということは、消費がどこに起こるかが大事ということ、人がなににならお金を使ってもよいのかが大事ということ。税金すら人が喜んで使ってもらえるようになれば、立派な消費ということになる。お役人という代理を通しての消費だとしても、国を守り、やっかいな福祉や健康管理やインフラ整備を代行してくれているわけだ。北欧の国々とかそうかもしれない。

余談だけど、要はお役人はもっと自分たちが役にたっていて税金を払うことがこんなに大事なんですよ、すごいんですよ。というキャンペーンを広告だけでなく、真剣に行動で示せば、みな喜んで税金払うと思うのだけれど、それは別の話。

イメージにすぎないのだけど、消費がどこにあるのかに合わせて経済資源をわりふりできるのが最適化経済ということなのではなかろうか?すでに量の問題ではなくスピードの問題であると。消費が起こったその瞬間に消費を満たせればそれが最適化。しかも、できることであれば消費がなくなったら速やかに撤収もしくは転用が一瞬にしてできてしまう、と。

ますますお祭り経済というか、サイバーカスケードな気もするのだけどね。

■追記

あらまたタイムリーな話題なんだね。

今年の年頭に出された首相談話では、さっそく首相がこれに乗った。自民党内には「行革に逆行する」との声もあるようだが、これは逆である。今の「経済産業省」「農林水産省」などと産業別にわかれている官庁を解体・再編し、消費者省に統合すればいいのだ。市場経済の原則は消費者主権だから、これはもっとも重要な官庁である。

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お答えがまたすごい。つうか、やっぱりねという感じ。

経済学の立場からいえば、市場経済の目的は「消費者余剰の最大化」しかないので、文化庁の「企業の利益と消費者の利益の調和」などという論理は誤りです。企業の利潤は、消費者に利益を提供したリターンにすぎないので、ゼロになるのが効率的な状態です。

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とうことは、↑↑の「ワン・ゼロ」の姿は間違っていない。というか、究極のあるべき世界であるということ?合成の誤謬という問題はあるとは思うんですけどねぇ。