パチンコも恋愛も、実はドキドキするけど、本質は自傷行為なのではないか?そして、自傷行為こそが中毒性があると。
いや、実は「下下戦記」を3分の1くらい読み終わった。
- 作者: 吉田司
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1991/09
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知ったような口を聞く資格は私には一切ない。ただ、水俣に行ってそうなのかなと、自分の実生活から言って納得できる箇所があった。一つの段落をまるまる引用しておきたい。
泥だらけになっても奪いたい本当の娑婆は集落の中にあり、支援運動は向こう辺端からさしのべられた仮の娑婆である。しかしそのどちらに身を寄せようと、彼らは水俣病患者以外のなにものにもなれなかった。いや、支援運動こそ一層患者であることを要求したのである。「怨敵チッソによって患者にされた事を忘れるな。患者であることに徹する所からしか闘いは生まれない」と。奇妙な事には、支援者の眼には、若い自患者がのしかかってくる水俣病の重圧を脱ぎ捨てようともがく事は逃避であり、政治的自覚が欠けていることになるのであった。
人の幸せってなんなんだろうなぁとつくづく思った。貧しさってついこの間まで本当にごくありふれた日本の姿だったよな、と。今の日本の繁栄なんてたかだか一世代程度のことであって、これから困窮の時代を迎えるといったってまたもとの生活に戻るという程度のこと。
ちょっと言葉を思い出した。
貧賤を憂えず、富貴に奢らず