なんつうかうまくいえないんだけど、つーか科学のも数学のも素養のない私に扱えるわけがないんだけど、カウフマンの向き合っている「有限の要素で記述できないもの」って、数学の「無限」と違うものだという気がする。
そうすると、常に進化しつつある生物圏は、文字道理予測不可能で、非アルゴリズム的で、われわれの予測能力を超えた何かを行っているということになる。それは量子的な不確定性のためだけでも、決定論的カオスのためだけでもなく、それとは異なる、さらに深遠な、なんらかの理由のためだ。宇宙における、創発と絶え間ない創造性は現実に存在するのだ。

- 作者: スチュアートカウフマン,Stuart A. Kauffman,河野至恩
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 2002/09
- メディア: 単行本
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序文から引用したこの部分の前には、「前適応」、「外適応」の話がでている。つまりは、「進化に関係ないんだけどたまたまそなわっちゃってた要素が次の段階へ行った時めちゃめちゃ大事な要素になったりするんだよね」ってやつだ。
フィットネス・ランドスケープ(適応度地形)の多様性の問題とか、物理現象の観察で小数点以下何桁まで有効桁数とるかとカオスの問題とか、私の生半な理解の整数論なんかで出てくる無限とは明らかに違う、「可能性の無限」みたいのを示している気がする。
それは、必ずしも人の世界にそのままあてはまるわけではないのだとわかってはいるのだけど、人と人とのリンクがフィットネス・ランドスケープがはらむ「深遠ななんらかの理由」に近いものを生む力を持っているのだと、私は信じたいと思っている。