メモ
「私たちのしたことには、それなりに神聖なものがありました。
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私たちはそういう気がしていました。
お互いにそういったではないですか。お忘れになったのでしょうか。」
この言葉が小説の中で発せられるまで、
ヨーロッパ史は千数百年を要した。
- 作者: ホーソン,鈴木重吉
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1957
- メディア: 文庫
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携帯電話でどこまで行けるか分からないが、やってみたい。要は思い付くネタをどれだけ吐き出せるか、吐き出し続けられるかなのだろう。
翻って、緋文字だ。その社会的位置付けが理解できていなかった。ましてや古代の残存物として独身男性による修道院集団が成立したとは!それは例のプラトンとかアリストテレスに至る神秘主義だろうか。
ありがとうございます。
告解という制度は、わが国の歴史には存在しなかったから、理解しにくい点もあるかと思うが、ヨーロッパの歴史の中では極めて重要な転機となる制度であった。なぜなら、個人の私的領域に司祭が介入してくることによって、個人は自分の行為を少なくとも第三者の前で客観的な基準に合わせるべく努力する姿勢を示さなければならなかったからである。つまり、個人の私的領域における行為について、絶対的な権威の前で責任をとる姿勢を示さなければならなかったのである。
■西洋中世の愛と人格 1 断片67: it1127の日記
it1127さんのぬきがきを読んでいるうちに、いま日本が少子高齢化、非モテ化で絶滅しつつあるというのは、社会を人の絆の集合体として見る見方でなく、ルールと個人の集積としてみることに耐えられないからではないかと思えてきた。私達にとって空間や時間は決して均質なものではなく、あるときは濃密であり、あるときは流れるように早く、あるときはじっと停滞し、あるときはエロスに満ち溢れている。決してユニバーサルなものではありえなかった。この古来の意識、精神のあり方が一気に携帯やら、ネットやら、フラット化、そしてルール社会化により、くずれさっていっていることが根源的な病なのではないだろうか?そして、それに変わる価値を私たちは見出せないでいるわけだ。