社会が不安定なのは、誰もが誰かのしっぽをおいかけて均衡をとろうとしていることが、最大の原因なのかもしれない。
映画「ゲド戦記」の中で、「人の欲望が世界の不均衡を作っている」(個人的記憶)というセリフが印象的だった。人の限りない欲望が世界の均衡を破っているというのは、日本でも熱帯性気候を経験するような変化してしまった日常を生活するだけでも、強く実感できる。そう、人は他人の欲望を自分の欲望にしてしまうので、欲望の軌跡はカオスを描くのだ。
Production Operation Managementの授業で、「動くターゲット」という話があった。品質管理において、一点の目標を決めて反復学習を行うと次第に精度が高まることがよく利用される。しかし、個人個人に当然くせがあるわけので、初期には「くせ」が「ぶれ」(誤差)の濃淡を産む。なかなか、正規分布の誤差というわけにはいかない。では、その「くせ」にあわせて目標の方を動かせば早く習得が進むだろうと思うのは当然だ。しかし、「くせ」に合わせて動くターゲットに対して反復学習をいくらせいても、精度(誤差)が発散してしまう。
あるいは、先日テレビで見た「トリビアの泉」の永遠にハモらない「夏の日の1993」のようなものだ。
この意味で、根本的な意思決定のスピードが違う民間セクターと政府セクターがお互いにお互いをあわせようとしても、携帯電話のハーモニーみたいなもので、そもそも合うわけがない。
ただ、政府セクターは「先進国」、「民主主義」を標榜する国であれば原則として意思決定の透明性が保証されている(んじゃなかったっけ?)。つまり、意思決定のスピードという周波数的にはあわなくとも、「このような事態になれば、こう政府は動くだろう」という予測を民間セクターができるはずなのだ。遅くともいいから政府セクターが「動くターゲット」にならないことが、「限りない欲望」の「不均衡」を回避する手段なのだと私が主張したらあまりに唐突だろうか?政府セクターは民間セクターがとやかくいったり、新しい規制を導入して欲しいといわれても、そう簡単に意思決定してはならないという、私がこれまで主張してきた(ホント?)と単体の結論に至る。
難しい数式は判らないがクルーグマンの「流動性の罠」の話も結局中央銀行の意思決定の方向性の透明性が高度市場社会では重要だという結論に達しているのではないだろうか?
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うーむ、この日記でこんな長文なくのははじめてでは?なんか疲れてきた。
そして、この不本意な事実を自分に突き立ててみると「重厚たれ」という言葉に突き刺さる。
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私がある役職についたときに飛び越してしまった方からいただいた本の言葉だ。
重職と申すは、家国の大事を取計べき職にして、此重の字を取失い、軽々しきはあしく候。大事に油断ありては、其職を得ずと申すべく候。先づ挙動言語より重厚にいたし、威厳を養うべし。
「重厚」を自分なりに解釈するなら、「10年でも20年でも同じことをいいつづけろ」ということになる。リーダーになるということは「動かないターゲット」を示し続けることなのだ。人が自分に期待する行動をいついかなる状況においても示し続けることが「重厚」なリーダーなのだ。
もちろん、日々意思決定しなければならないことは多い。それでも、組織の向くべき方向を変わらずに指し示してこそ、組織をカオスから守り、無限の欲望のとりこにならないことなのだと信じる。
■参照リンク
・ハヤオの息子学序章 by essaさん