HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

「余りの命」なのかも

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50577041.html

"spared"とはDanさんのおっしゃる「余生」なのかもしれない。

しかし、それは我々のその後の人生が、「すべて余命であって、衰える一方、壊れていく一方で、騙し騙し過ごしていくしかない」からではない。

「自分の命よりも大事な命が、すでにある」からだ。

少なくとも、私にはそれが3つもある。実際はそれより多いだろう。

「自分の命よりも大事な命」を得た瞬間に、我々の人生は余生となるのだ。

実はこの瞬間、テナーとゲドから「世代」というバトンがテハヌーに渡されたのではないだろうか?