HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

あなたは繋がっていますか?

ここのところの様々なスキャンダルの根底につながり感の喪失というべきものがあるような気がしてきた。

それは、「相手に100%を求め、自分は0%も責任を負わない」という態度をとることへの志向であろう。以前、企業スキャンダルを扱った小説を並べてみた。

http://d.hatena.ne.jp/hihi01/20060124/p1

あたりまえだがスキャンダルによってつぶれて行った企業と、スキャンダルの後まで生き残っている企業がある。あまり一概に言えないのだが、継続性を持つ企業あるいは企業グループには、スキャンダル後に「みそぎ」というべき行動があったような気がする。もちろん、スキャンダルのインパクト自体が大きすぎる場合は継続性が失われるわけだが、まがりなにりも生き残った企業群には、その後公的な価値へのコミットがあったように思ってしまうのは、私の思い込みであろうか?

そして、ホリエモンやら、某ホテルや、某偽装事件などを考えるに、登場人物たちが相手には100%責任を果たすことを求めながら、自分のやるべき責任に対してあまりに感覚が薄いと感じる。企業が大きくなっていく、社会的な関心を受けることの裏側にある企業側の責任になぜ気づかなかったのだろうか?