HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

ビジネスの「ロジック」と雄弁術

言葉でどう表現するか、それも相手を徹底的に説得しなければならない文章を書かなければならないときに、よくGMATのlogicのテストを思い出す。徹底的に歯がたたなかった。米国のビジネス文書にはかなり厳格な決まりや、ロジックの構成がある。レポート、ケーススタディーの類でもかなり鍛えられるといってよい。GMATの試験を高校生が受けるのだとすれば、ビジネス関係に進む学生は、かなり英語の表現を鍛えられているのだと私は感じた。問題を読む限り、たった1行の文章に凝縮された論理の展開がどうしても追いきれなかった。ずいぶん前からこれはギリシア、ローマ時代がら良家の子女は雄弁術をたたきこまれた伝統のなごりではないかと想っている。

しかるに、日本語で表現されたビジネス、法律のロジックというのは、実に効率が悪い。しかも、ロジックが文章で通じないことが多々ある。これは、書き手と読み手の文章に対する文章力、理解力としかいいようのないもんであり、かつ、実生活の上で論理以外の「情」としかいいようのない力が重要視されていることからくると思えてならない。よく仕事でお付き合いする人から、「人は感情の動物だからね」といわれる。正直、多少論理をまげても、相手の感情にそった文章の展開を追っていったほうが、「伝わる」ものだ。

それにしても、もっと小さいころから文章を書く習慣がついてれば、書き手と読み手のすれ違いといった問題ははるかに避けられる気がしてならない。

あ、もっといってしまえば、日本のビジネスの場面で、話し言葉では、相手の感情をさかなでない、自分の持って行きたい方向に相手の感情をもっていくといった、文章の論理以外の部分が8割、9割を占めることは言うまでもない。