HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

開放系組織論

組織と組織外の境界があいまいである組織がこれから増えてくるように思う。多分、そもそもこれまでの意味での組織への忠誠心というのかなり薄れてきているし、これかもなかなか強化されることは少ないだろう。かつ、私の世代の前後あたりで、とういうじょとは現在の30代以下と40代以上くらいで倫理感のかなり大きな違いがあるような気がしてならない。なんというか、社会の中のルール違反に対する許容度というか、ルールと自分の生存のどちらをとるかの価値基準のようなものの違いを感じる。いや、もっともまだ団塊の世代とその上の世代の間の断絶という大きな問題もあるので、目立たなくなっているかもしれないが、社会が変質していくのだろうなという予感のする差がここにはある。

あるいは、20数年前に教えてもらった言葉でいえば、メリトクラシーとかいうのだろうか、自分の効能感というか、自分の行動で社会を変革しうるというような気概の差といってもいいかもしれない。

いずれにせよ「最後の人間」に近いところにいて、年間3万人もの人が自らこの世からさえ離れていくというこの国においては、ITを使おうが、なにをしようが人が簡単に組織を離れていくことを前提に組織を組まなければいけないという矛盾に直面する。

その前提はこれまで一般職層と管理職層、入社同期別の初発、部課組織など、なんらかの集団として管理していた人材管理をより一人一人の個人の単位に焦点をあてなければならない。