HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

無尽、講、手形、そして株

考えてみれば、非常に日本流な信用のネットワークから資金の蓄積を作り出す仕組みであったわけだ。多分、あまり実態とはなれず、虚業にならないようなコントロールがそこには働いていた。法律になったとたんに虚になる。信用、信頼といったものが入らなくなってしまう。

それにしても、講という仕組みでなぜ商人が集まって金を出し合って籤で一人に渡すということをするのか分からなかった。考えてみれば、資金というのは集中したほうが力を産むという自明なことを自明なこととして既にとらえていたに違いない。

商取引の西洋での発達を考えると、メディチ家の為替送金を、ロスチャイルドの王侯貴族への貸付を思い出す。そして、それが、現代につながる巨大資本の最初であった、と。

日本における商取引にユニークさがあるのは、この辺の金融商品って商人の間で行われたものであったことだと思う。商人の間で取引の基盤となる信頼性や、ネットワークなどが、既に安定して存在していたという社会的、経済的な背景がそこにはあったのだ、と

無尽講とは、頼母子講ともいい、歴史の教科書に出てきます。庶民金融の一種で、親(発起人)が仲間をつくって、一定の掛け金を出し、入札・抽選で落札者を決めます。室町時代に起こって、江戸時代に盛んに行われますそれが、各地の相互銀行になり、いまの第二地銀となったのです。因みに、先日つぶれた第二地銀のトップだった東京相和銀行の頭取も山梨県出身者でした。

Yahoo!¥¸¥ª¥·¥Æ¥£¡¼¥º

ここにいたるのに既に前提とされている、社会の安定とか、商人間の約束を守る規律だとか、擬似的な法治主義政策とか、血族でない個人を信頼する倫理と裏切るタブーとか、こうした要素が現代においてどのように教育されているのか、習慣化されているのか、法文化されているのか、再度専門家でないごく普通の市井の私たちが考えなければならないではないか、と切に感る。専門家、分業化してきたことの罠が現代にはないだろうか?

懐古趣味におちいる危険性はあるが、ごく普通の平民の間で、なぜそれが可能であったかを考える事は、人口、経済規模などが100年まえにもどるであろう下り坂の日本で今後どのように経済活動を行うかを考える上で大切だと思う。