カーナビを使っていて、べき乗則的集中化を感じる。
この数日、カーナビを使って車で走っていて、別の目標を目指しているはずなのに同じ道に誘導される。同じ道を何回通ったかわからないほど。地図を片手に運転していた時は、わりとブレと多様性がああった。また、カーナビ通りに運転しているのに、結果として同じルートを通っている車の後をついていく体験もしている。同じ種類のカーナビ、同じアルゴリズムで走向しているということなのだろう。
なんというか、世の中、過剰な集中による弊害が表に出始めているのではないだろうか?
ドラッカーの「魔物」というのは、やはり社会そのもの、個人個人そのものの中に存在している。いや、そのつながり、リンクに存在しているのだ。
■追記
ドラッカーの「魔物」とは?
自由と安全が両立しないならば
大衆は安全を選ぶ。大衆は、世界に合理をもたらすことを約束してくれるものさえあれば、自由を放棄してもよいと覚悟するにいたった。
自由が平等をもたらさないならば、自由を捨てる。自由が安全をもたらさないならば、安全を選ぶ。自由によって魔物を退治できないとなれば、自由があるかないかは二義的な問題にすぎない。自由が魔物を招くのであれば、自由の放棄によって絶望からの解放を求める。

- 作者: P・F・ドラッカー,上田惇生
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