HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

都道府県の意義


先日来、遺伝的アルゴリズムのリアルな摘要がとても大事だと感じている。たとえば国という絶対に倒れてはいけない存在だけしかないときに、真剣に創造的な間違いを置かすことができない。モデルをたてて検証するということは、一定の単位の動、政策の担い手であるノードの存亡をかけるということだと思う。それが創造な間違いなのだ。精巧なシュミレーションはどこまでもできるが、それはその前提条件が明らかにされて始めてその有効性が検証可能である。

こういう観点にたつとき、どの単位をノードととるかがとても大事だということになる。行性単位でいえば、国でいいのか?、県でいいのか?、市なのか?、それとも道州制をとって自己責任が果たせるようにすべきなのか?

また、既存のマスコミや勢力がだいぶ衰えてきた今もし「平成維新」を唱えて大前健一のような存在がいたらどうなるのだろうか?