HPO機密日誌

自己をならふといふは、自己をわするるなり。

経済と資金過不足

中小企業に勤める自分としては、付加価値という特殊な定義のものよりも資金が足りているか足りていないかが一番気になる。自分の商売でもうまくいっているときは、きちんとお金が足りるし、うまくいっていないときは借り入れに四苦八苦しなければならなくなる。

「資金循環」を見ている限り、民間はすでにリストラが終わりお金を力強く産み始めているように思う。金融機関ももうすでにあまっている状態のようだ。ここらへんであまったいるお金が公共部門に流れているのだろうか?しかも、公共部門も借金付けになっているからいくらお金が流れ込んでも信用の枠が収縮するというか、デフレにつながるしかない。経済的にはきわめてうまくいっているのに、資産が大幅にかつ急速に減っているのはこの辺の事情によるのだろうか?

企業もお金をリストラでひたすら借金を返しているのでは、全体の信用などでふくらんだ資産はますます減っているということだろう。

それにしても、GDPというのはいったいなんなんだろうか?ますますわからなくなってきている。ただ、今回いろいろ教えていただいて感じたのは、生産側はすでに網の目のようにさまざまな企業が存在し、貿易のネットワークも緊密化しているので、ひとつふたつがどうかなっても国民の生活側からみればかならず代替が存在するようだ。大事なのは、ほんとうに需要だ。ただ、政府のような自分で付加価値を生まない存在が借金を起こして需要を拡大するのは、すでに限界だ。

いや、企業が信用残を減らしている分、代替してくれているともいえるのだろうか?その場合は効率を問題にしたいのだが...

この状況を打破するには、やはり政府部門のあり方を変えるということではないだろうか?政府を企画部門と運営部門にわけて運営部門は借金つきで民間会社へ変更してやる。うまくいくのもあるだろうし、つぶれるのもあるだろう。しかし、大きくなりすぎて身動きが取れなくなるよりははるかに健全になるように思われる。

ああ、でも分割という言葉はディオクレティアヌスを思い出させる...